1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散

●Y-DNAの意義

  人間の設計図は核の中の46本の染色体にすべて書き込まれています。その中で性別を決めるのがXとYの性染色体です。受精時にXXなら女性、XYなら男性になるのが基本設計図なのですが、 「基本」と言うとおりそれだけで男女別の分化が完成するわけではなく、受精から誕生後の幼児期〜思春期まで3回程の段階を経て男女分化が完成します。 どこかの段階で分化が上手くゆかないと性不一致の問題が生じます。

  そのY染色体には膨大な遺伝情報(DNA)があり以前は技術が伴わず解析は無理だったため、より簡単だったmtDNAの解析が先に進みましたが、 技術・手法の急激な進化で解析が急速に進みmtDNA解析に取って代わり民族の起源を調べる最有力な方法になりました。

  このY-DNA(男系遺伝子)情報を調べることでmtDNA(女系遺伝子)では分からなかった民族の移動がはっきりしてきつつあります。勿論日本人の起源もかなり調べられてきています。   人類の移動には大きく2種類あるそうです。人類が集団で男も女も一緒に動いた場合、 たとえば70000万年頃前の砂漠化したサハラ以北のアフリカ大陸から絶滅寸前だった現代人の祖先が出アフリカを決行した時を始めとして、 その後まだ人類に種族や国家などの排他意識が完全に生まれる前の移動やモンゴロイドがアリューシャン列島を渡り、南アメリカの最南端まで到達したのは、 この男女セットの集団移動によります。この場合は男系のY-DNA遺伝子も女系のmtDNA遺伝子もセットで動きました。 また近い時代ではトルコ系のタタール人のように民族ごとクリミヤ半島に強制移住させられた集団もいます。

  一方、人類に種族や国家などの排他意識が完全に生まれたあとは、侵略・侵攻・征服など戦争による場合はほとんど男によってなされるため、 侵略した男系のY-DNA遺伝子が一方的に動き、侵略された土地の女系遺伝子と交配し新たな遺伝子セットが出来上がります。ひどい場合はその土地の男系は根絶やしになり、 男系遺伝子が完全に入れ変わる場合もあったようです。中南米の現代の地元集団・インディオの成り立ちは侵略者のスペイン系やポルトガル系など ヨーロッパのY-DNAと先住民の女性遺伝子との混血でラテン系の新たな集団に生まれ変わっているそうです。本当の先住民(ネイティヴアメリカン)は 結局アマゾンの奥地などにひっそりと隠れ住み、ベーリング海峡を渡った偉大な冒険者の面影はあまり残してはいません。

  という訳で、Y-DNAを追いかけると、民族の変遷、征服・侵略・侵攻など現代に繋がる近代国家の成り立ちが見えてくるそうです。 残念ながらmtDNA遺伝子研究では民族性にかんして重要な寄与はできないと欧米の研究者は考えているようです。このため当ブログも情報量の多いY-DNAをメインに進めます。

  では日本はどうだったのでしょうか?意外に紀元前の古い年代のほうが推測できて、紀元後1000年間ぐらいがどうもはっきりしないのです。 これまでの先達の研究で納得できる部分もありますが、まだわからない部分がかなりあります。この1000年間に日本民族性が形造られたようです。 ガラパゴス的日本人の民族性が確立したのは江戸時代のような気がしますが、基層は日本人の持つ遺伝子の多様性に起因しているのではないかと思えるところまでわかってきました。

●Y-DNAの拡散

  Y-DNAもmtDNAも集団の遺伝子的違いをハプロタイプと呼ぶ分類名で表します。たとえば縄文文化を構成する遺伝子の大部分はY-DNAハプロタイプ「D」と大分類され、 更に「D2]と小分類(亜型と呼ばれます)されます。この「D2」は日本人の民族性の平均35%も占める大きな構成要素で、 しかも北のアイヌ民族から本土人、北琉球列島人まで日本列島にしか存在しない特殊なハプロタイプで韓半島には全く存在せず、 韓国人と日本人の決定的な民族の違いを示しています。また北琉球人、アイヌ人と本土人が「D2」の構成頻度(縄文度)は違っていても 同じ縄文要素を持つ兄弟民族であることが如実にわかります。勿論大きな違いもあります。(南琉球人の遺伝子構成はまだ十分な情報がインターネットでは入手できていません。

  下のよく知られた図で「D」は5万年前ごろに中近東あたりで発生しインド洋の湾岸沿いに移動し、アンダマン諸島−日本列島−中原−チベットと集団が移動していることがわかります。 60000-70000年前頃の出アフリカ時には既に「D」はあった、という研究者も沢山いるほど古い(シーラカンス的な)古代遺伝子情報を持つ集団なのです。

  また図には「D」と並ぶ古代遺伝子である「C」はアリューション列島を渡る前に日本列島に足跡を残したことがはっきりと示されています。 亜型の「C1」と「C3」が後期旧石器時代に移動してきました。頻度の高い地域や東北では「D2」と共存した可能性は極めて大です。 当時は最終寒冷期でスンダランドも東シナ海-黄海大陸棚も日本列島も樺太やカムチャッカ半島もアリューシャン列島もアメリカ大陸まですべて陸続きであったため、 人類は徒歩で南アメリカ大陸の最南端まで到達したことを忘れてはいけません。

  図で「Q3」と「C3」は壮大な民族移動の果てに北アメリカから更に南アメリカに移動し1万年前頃には南米最南端のフェゴ岬まで到達し先住ネイティヴアメリカンとして生き延びてきた、 偉大な冒険者達でした。中にはアステカ文明、マヤ文明やインカ文明などの文明を立ち上げた集団もあり、冒険者たちは大きな足跡を残しました。 しかし新たな西ユーラシア人の侵略により文明は滅び、生き延びた集団は侵略者と混血しインディオとして、 孤高を貫いた集団はネイティヴアメリカンとしてアマゾンの密林の奥地に閉じ込められ、南米人として新たな歴史を作っています。 ただしこれら「Q3」「C3」の壮大な大移動の前に南北アメリカ大陸に更に先住民がいたかどうかはわかっていません。 「Q3」の兄弟遺伝子の「Q1」が僅かですが日本人にも存在しています。




















以上
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2-2. mtDNA ハプロタイプの拡散

  一方mtDNAの拡散はどうだったか!女系の移動、つまり部族として男系とセットで移動した軌跡が分かります。 縄文文化集団の女系の構成遺伝子はまだはっきりとはわかってはいませんが、 縄文遺跡の発掘結果やチベットの女系構成遺伝子からmtDNAの「M」の亜型の「M7」「M9」と「M10」は確立の高い相方候補のようです。

  このことは日本列島に到達し縄文文化を構成した主要集団のY-DNA「D2」集団が詳細にみると単一遺伝子の集団ではなく少なくとも数部族に分かれていたということを推測させます。 縄文文化を構成したY-DNAの「D2」や「C1」「C3」が日本列島に到着したころは、ユーラシア大陸と日本列島はまだ地続きであり、 スンダランドや東シナ海-黄海大陸棚は陸地だったため、Y-DNA「D2」や「C1」「C3」のシーラカンス古代遺伝子集団は、 日本列島に到着する前に移動中スンダランドや東シナ海-黄海大陸棚で長い間留まり交配を重ねた可能性だってあるのです。

  何しろ出アフリカから縄文文化草創期まで50000年近く経過しているのです。一体その間どこにいたのでしょうか? 50000年前頃には既にオーストラリアにアボリジニの先祖が現れた、と欧米の専門家は報告しています。 ということは50000年前頃には既にスンダランドに現代人の祖先はたどり着いた事を示しています。 そしてアリューシャン列島を渡ったのが14000年前頃らしいので35000年近くスンダランドや東シナ海-黄海大陸棚辺りのどこかにいたのです。 まだ極寒ではなかったシベリヤでもナウマン象ハンターが活躍していましたので、スンダランドからシベリヤの広い東ユーラシアのどこかで集団で生きていたはずです。

     図を見るとmtDNAの解析では「B」「A」「C」「D」の遺伝子集団が、極寒の地と化したシベリヤから生き残りをかけた出シベリヤを決行し、 当時陸続きだったアリューシャン列島を渡る壮大な民族集団大移動を果たしたことが分かります。生き残るためとはいえ素晴らしい冒険者たちでした。

  Y-DNAの拡散図と合わせるとY-DNAの「C3」「Q3」とmtDNAの「A」「B」「C」「D」が南北アメリカのネイティヴアメリカンの民族遺伝子セットであることが明快にわかります。 しかし今のネイティヴアメリカンから壮大な民族移動を果たした偉大な冒険者たちの姿を想像するのは難しいですが。

 




















以上
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