15-14. 最古の縄文草創期の土器は魚の調理に使われていた

  Nature 2013/4/18号に、縄文土器の使用を立証する最も初期の証拠に関する研究論文が掲載されました。

  要するに草創期(15000年前頃)の縄文土器が何に使われていたか立証できた、というものです。これは非常に興味深い内容です。ガラパゴス史観の結論から言うと、縄文土器を開発したのは当ガラパゴス史観の主張通りY-DNA「C1a」の海洋性ハンター集団だったらしい、ということです。縄文人の主要3遺伝子のうち主流のY-DNA「D2」遺伝子集団は特に特徴を持たない黙々と生きる集団でした。

  「D2」と共に移動を共にしていたと海外の研究者から考えられているY-DNA「C」は海洋性ハンター集団であると同時に土器製作の技術屋集団でもあったようです。このホームページの記事14-4.にあるようにY-DNA「C」は42000年前にはサフールランドの外洋でマグロを取っていたことがわかっています。岸壁で釣りをしていたのではなく海に乗り出してマグロを取っていたということです。

  この集団は現代のY-DNA「C2」及び「C4」の祖先のはずです。なら当然日本列島独自の「C1」も海洋性ハンター集団だったはずです。一方Y-DNA「C3」も元は海洋性ハンターだったはずですが、「D」と共に東ユーラシア大陸に進出したことにより内陸性のハンターつまりナウマンゾウや大型の獣を追うハンターに変貌したようです。このため「D2」,「C1a」よりやや遅れて日本列島にやってきた「C3a」は寒冷化に伴い南下したナウマンゾウ等の大型獣を追って日本列島にやってきたようです。

  この「C3a」遺伝子集団は当然土器製作者集団でもあったわけですが、大型獣の煮炊き用に「C1a」とは一味違う縄文土器を持っていたようです。蛇足ですが、中南米で時おり出土する縄文土器似の土器の製作者は当然ながらY-DNA「C3b」になります。

  先ずNatureの論文のAbstractをご紹介します。日本人研究者も含まれています。興味のある方はNatureで全文をお読みください。
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Earliest evidence for the use of pottery

O.E.Craig, H.Saul, A.Lucquin, Y.Nishida, K.Tache, L.Clarke, A.Thompson, D.T.Altoft, J.Uchiyama, M.Ajimoto, K.Gibbs, S.Isaksson, C.P.Heron P.Jordan

Pottery was a hunter-gatherer innovation that first emerged in East Asia between 20,000 and 12,000 calibrated years before present1, 2 (cal bp), towards the end of the Late Pleistocene epoch, a period of time when humans were adjusting to changing climates and new environments. Ceramic container technologies were one of a range of late glacial adaptations that were pivotal to structuring subsequent cultural trajectories in different regions of the world, but the reasons for their emergence and widespread uptake are poorly understood. The first ceramic containers must have provided prehistoric hunter-gatherers with attractive new strategies for processing and consuming foodstuffs, but virtually nothing is known of how early pots were used. Here we report the chemical analysis of food residues associated with Late Pleistocene pottery, focusing on one of the best-studied prehistoric ceramic sequences in the world, the Japanese J?mon. We demonstrate that lipids can be recovered reliably from charred surface depos its adhering to pottery dating from about 15,000 to 11,800?cal?bp (the Incipient J?mon period), the oldest pottery so far investigated, and that in most cases these organic compounds are unequivocally derived from processing freshwater and marine organisms. Stable isotope data support the lipid evidence and suggest that most of the 101 charred deposits analysed, from across the major islands of Japan, were derived from high-trophic-level aquatic food. Productive aquatic ecotones were heavily exploited by late glacial foragers3, perhaps providing an initial impetus for investment in ceramic container technology, and paving the way for further intensification of pottery use by hunter-gatherers in the early Holocene epoch. Now that we have shown that it is possible to analyse organic residues from some of the world’s earliest ceramic vessels, the subsequent development of this critical technology can be clarified through further widespread testing of hunter-gatherer pottery from later periods.
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Natureの紹介記事です。

  土器の発達は人類の歴史の中でも画期的な出来事の1つであり、高度な調理や貯蔵などの多くの技術に道を開いた。知られているかぎりで最古の土器製作民は、農耕や定住的な生活様式が発達するはるか以前の東アジアに居住していた。当時それらの土器が何に使われていたのかは推測の域を出なかったが、今回その化学的分析が行われた。縄文時代草創期(1万5000?1万1800年前)の焦げの付いた土器101点について、クロマトグラフィーによる安定同位体分析が行われた結果、土器が調理に使われていたことを示す最古の証拠が得られた。また、土器の破片から抽出された脂質は、海産および淡水産の生物に特徴的なものだったので、当時のメニューには魚が含まれていたと考えられる。

新潟県の久保寺南遺跡から出土した縄文時代草創期(約1万5000年前)の土器。














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  この論文のポイントは

  ・土器製作は当時の狩猟採集民にとって革新的な発明だった。
  ・土器は更新世の終わり頃12000〜20000年前頃に東アジアで出現したようだ。
  ・土器は氷結時代後半の適応産物だったが、何故広範囲に出現したかまだ理解されていない。
  ・この陶器製のコンテナーは食料の処理や消費の仕方に新しいやり方を提供しただろう。
  ・しかし最初の土器が何に使われたかまだ分かっていない。
  ・化学分析は、発掘された草創期の縄文土器に残る残渣から脂質を検出した。
  ・この有機化合物の由来は明らかに水性/海洋性生物だった。
  ・日本列島の北から南までの土器のほとんどからこの水産食品に由来する脂質が検出された。
  ・しかも高い栄養段階の水産食品である。
  ・縄文土器の草創期はこの水生の推移帯(ecotones)と結びついている。

  要するに、縄文集団は人口の主流は「D2」が占めていたが、それを動かしていたのは水産食料を調達し調理する「C1a」ではなかったかと思われる。草創期から早い段階の縄文集団/遺跡はこうして海辺/沿岸部で発達してきたと考えられる。しかし温暖化で海面上昇が始まり集団は恐らくかつての内陸に移動せざるを得なくなり、草創期や初期の縄文遺跡は140mの上昇した海の中にほとんど沈み埋没したはずである。

  Y-DNA「C1a」遺伝子集団は後に隼人のような海の集団を形成していったと思われる。一方遅れてやってきた「C3a」遺伝子集団は内陸の集団として熊襲などの集団を形成していったものと思われる。人口主流派だった「D2」は一体どのように行動したのだろうか?甚だ疑問である。スンダランドから長期間行動を共にしてきたようなのでその後も「C1a」や「C3a」と行動を共にした一団も当然いたはずだが、むしろ後に日本列島にボートピープルとして流れてきた呉系弥生集団Y-DNA「O2b」の安定した水田稲作農耕による農産物食糧調達に加わったのではないかと思われる

  「D2」はいがいにしたたかな集団だったのではなかろうか!「D2」はこれといった特徴のない江戸時代でも恐らく貧農、下僕/下男、下働き程度の仕事しかなかったと思わるるが、生きることにはたけていたようである。だから今でも日本人男性の40%を占める大遺伝子集団なのだろう。



以上

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