15-8. 分子遺伝学と考古学の年代の溝を埋める分子時計の見直しのようです

  9月18日付けのNatureに分子遺伝学者達が年代決定の計算に使う分子時計のスピードの見直し(遅めに)を始めたという記事が掲載されました。
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Studies slow the human DNA clock

Revised estimates of mutation rates bring genetic accounts of human prehistory into line with archaeological data.

by Ewen Callaway

At 500,000 years, the dating of this skull of Homo heidelbergensis clashed with previous DNA dates for Neanderthal origins.

The story of human ancestors used to be writ only in bones and tools, but since the 1960s DNA has given its own version of events. Some results were revelatory, such as when DNA studies showed that all modern humans descended from ancestors who lived in Africa more than 100,000 years ago. Others were baffling, suggesting that key events in human evolution happened at times that flatly contradicted the archaeology. Now archaeologists and geneticists are beginning to tell the same story, thanks to improved estimates of DNA’s mutation rate ? the molecular clock that underpins genetic dating1?4. “It’s incredibly vindicating to finally have some reconciliation between genetics and archaeology,” says Jeff Rose, an archaeologist at the University of Birmingham, UK. Archaeologists and geneticists may now be able to tackle nuanced questions about human history with greater confidence in one another’s data. “They do have to agree,” says Aylwyn Scally, an evolutionary genomicist at the Wellcome Trust Sanger Institute in Hinxton, UK. “There was a real story.” The concept of a DNA clock is simple: the number of DNA letter differences between the sequences of two species indicates how much time has elapsed since their last common ancestor was alive. But for estimates to be correct, geneticists need one crucial piece of information: the pace at which DNA letters change.
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  当ブログが掲載している最新のホモサピエンスのY-DNAツリーの最初のY-DNA Adamの出現年代は90000年前から142000年前頃に改定されています。 同様にミトコンドリア・イヴの出現年代も140000年前頃から200000年前頃に改定をされています。しかし出アフリカの年代は60000年前頃で改定されていません。

  ところが中東(レヴァント地域で発掘されるホモサピエンスの遺跡・化石は100000年前頃には既に人類がレヴァント地域で活動していたことを示してきました。 つまり考古学の年代構築と分子遺伝学の分子時計が合わなかったのです。

  そこで下記の図のような提案が分子遺伝学者の方から最近なされているようです。分子時計のスピードはもっと遅いのではないか....ということです。 要するにDNAの変化のスピードはもっと遅い、従って現在の変異が定着するために必要な時間はもっとかかったはずだ、というものです。 と言う訳でY-DNA Adamやミトコンドリア・イヴの出現年代は更にもっと遡り、出アフリカ年代も同様にもっと遡りこれまでの60000年前頃から110000〜120000年前頃と考え始められつつあるようです。 これだと考古学の成果と一致してくるそうです。















  無理に合わせる必要はないと思いますが、両者とも(考古学は日本の旧石器時代の"神の手”による捏造がありましたが)「科学」の分野である以上、科学的な物差しが必要で、 しかもそれは一致しないとおかしいのですが、これまでは両社共につっぱって譲らなかったようです。結局歴史の浅い分子遺伝学が古い考古学に歩み寄った感じです。

  いずれにせよ当ブログは分化の絶対年代を問題にはしていないので、新旧の順序さえあっていればどっちでも構わないのですが!

  ただこの図で重要なのはオーストラリア(サフール)大陸にオーストラロイドY-DNA「C2」、「C4」が到達したのは考古学の成果通り分子遺伝学も50000年前とした以上、 より古い日本独自のY-DNA「C1」は当然同じ頃には日本列島に到達していても不思議ではありません。 となると西欧の研究者が「C」と行動を共にし東ユーラシア大陸の最初の到達者と考えているY-DNA「D」も50000年前頃に少なくとも東シナ海-黄海ランドには到達し 中国神話の最初の住人となっていた可能性は極めて大きくなってきました。また当然ですが日本列島の旧石器時代人がY-DNA「D」及びY-DNA「C1a」である可能性も極めて大きくなってきたのです。 Y-DNA「C3a1」が日本列島に南下してきたのはもっと後で、シベリアの寒冷化に寄って南下してきたナウマン象を追って、海面上昇が起り日本列島が完全に分離する前頃でしょう。

  貝文土器の製作者と考えられるY-DNA「C1a」海洋性ハンター集団は縄文土器の開発者そのものではなく、一部の「D2」と共にシベリアにナウマン象を追って北上し、 その後の寒冷化による大型獣の南下を追って遅れて日本列島に入ったY-DNA「C3a1」陸のハンター集団が大型獣の煮炊きのために開発した土器を縄文土器に熟成させ、 同じ土器製作者の「C1a」が協力し火焔土器など独特の縄文文化を花咲かせたと考えるのが妥当でしょう。だからこそ火焔土器はプロトタイプがなく突然始まったように感じられるのではないでしょうか。 もしかすると東北ユーラシア大陸にプロトタイプに繋がる火焔的な様式が今後見つかるかもしれません。

  では人口的に圧倒的多数派だった「D2」縄文人は?アンダマン諸島のOnge族やJawara族の19世紀末の記事を見ても、未開のままだったようです。 つまり縄文人は当初、土器を全く使わないレベルだったか、「C1」や「C3」と生活圏が重なっていた一部の集団が出来た土器を使わせていただく程度の存在だったのではないでしょうか。 縄文後期から晩期には技術を習得し製作者にもなっていたと思いますが。

  ともかく無精子症や乏精子症の比率が多く人口増殖率が低いY-DNA「D2」縄文系が現代でも40%近い出現頻度を保っていると言うことは、古代には圧倒的な人口比率だったと考えるべきです。 学者達が縄文の影響を矮小化するために縄文時代の人口を極めて低く見積もっていますが、でっち上げです。 弥生系Y-DNA「O1」、「O2」や武装侵攻系「O3」は極めて少ない人数で都度ボートピープルとして日本列島に渡ってきたことは明白です。 だからこそY-DNA「D」語が日本語の基層言語(語順・文法体系)なのです。



以上

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