2-2. mtDNA ハプロタイプの拡散

  一方mtDNAの拡散はどうだったか!女系の移動、つまり部族として男系とセットで移動した軌跡が分かります。 縄文文化集団の女系の構成遺伝子はまだはっきりとはわかってはいませんが、 縄文遺跡の発掘結果やチベットの女系構成遺伝子からmtDNAの「M」の亜型の「M7」「M9」と「M10」は確立の高い相方候補のようです。

  このことは日本列島に到達し縄文文化を構成した主要集団のY-DNA「D2」集団が詳細にみると単一遺伝子の集団ではなく 少なくとも数部族に分かれていたということを推測させます。 縄文文化を構成したY-DNAの「D2」や「C1」「C3」が日本列島に到着したころは、ユーラシア大陸と日本列島はまだ地続きであり、 スンダランドや東シナ海-黄海大陸棚は陸地だったため、Y-DNA「D2」や「C1」「C3」のシーラカンス古代遺伝子集団は、 日本列島に到着する前に移動中スンダランドや東シナ海-黄海大陸棚で長い間留まり交配を重ねた可能性だってあるのです。

  何しろ出アフリカから縄文文化草創期まで50000年近く経過しているのです。一体その間どこにいたのでしょうか? 50000年前頃には既にオーストラリアにアボリジニの先祖が現れた、と欧米の専門家は報告しています。 ということは50000年前頃には既にスンダランドに現代人の祖先はたどり着いた事を示しています。 そしてアリューシャン列島を渡ったのが14000年前頃らしいので35000年近くスンダランドや東シナ海-黄海大陸棚辺りのどこかにいたのです。 まだ極寒ではなかったシベリヤでもナウマン象ハンターが活躍していましたので、スンダランドからシベリヤの広い東ユーラシアの どこかで集団で生きていたはずです。

     図を見るとmtDNAの解析では「B」「A」「C」「D」の遺伝子集団が、極寒の地と化したシベリヤから生き残りをかけた出シベリヤを決行し、 当時陸続きだったアリューシャン列島を渡る壮大な民族集団大移動を果たしたことが分かります。生き残るためとはいえ素晴らしい 冒険者たちでした。

  Y-DNAの拡散図と合わせるとY-DNAの「C3」「Q3」とmtDNAの「A」「B」「C」「D」が南北アメリカのネイティヴアメリカンの 民族遺伝子セットであることが明快にわかります。 しかし今のネイティヴアメリカンから壮大な民族移動を果たした偉大な冒険者たちの姿を想像するのは難しいですが。

 



以上
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