30-14. 6000年前頃、大柄な縄文人もいたようだ!!

  遺伝子関連の調査はしばらく休養中ですが、面白いニュースは是非共有したいので都度ご紹介します。 今日の中日新聞に下記の記事が出ました。
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【富山】発のニュース
縄文人 170センチ以上あった? 小竹貝塚の出土人骨整理
2011年7月8日

 ←現代人と変わらない30センチ台の上腕骨を持つ縄文前期の人骨を調べる研究員=富山市五福で。

 昨年、縄文時代前期の人骨が多数出土した富山市呉羽町北の小竹(おだけ)貝塚を発掘した県文化振興財団埋蔵文化財調査事務所(富山市五福)は七日、 報道陣らに公開した整理作業で、人骨の中にはこの時代としては全国でも珍しい身長一七〇センチ以上とみられる男性の骨もあったことが分かったと説明した。

 詳細な調査を担当する国立科学博物館人類研究部(東京都)の研究員らが訪れたのに合わせて作業を公開した。作業員らは、乾燥させた人骨を傷つけないように注意しながら、 ブラシなどで表面の泥を丁寧に取り除いた。

 溝口優司部長は「上腕骨も三〇センチ以上あり、現代人とそう変わらない。縄文時代前期の男性の身長は平均一五〇〜一六〇センチと思われていただけに貴重な発見」と話した。

 事務所は、今秋までに全人骨の処理を終える予定。その後、人骨は人類研究部の移転先である茨城県つくば市に運ばれ、DNA鑑定や血縁調査がされる。

 小竹貝塚は富山市西部の呉羽丘陵に位置する。北陸新幹線の建設に先立つ昨年四〜九月末の調査で、七十一体が見つかった。事務所によると、 縄文時代前期として一カ所で見つかった人骨としては国内最多。 (記事 大野暢子)
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  ホモサピエンスは出アフリカ後近東でネアンデルタール人と交配し遺伝子をもらっていますが、 猿人時代のアウストラロピテクス以来小柄でネグリートだった人類の中で、60万年前頃に先に出アフリカしたネアンデルタール人はヨーロッパ大陸の食物連鎖の頂点に立つ頂点捕食者となり、 肉食のおかげで大柄になり、160−170cmになったそうです。せいぜい140cm−150cmだったホモサピエンスは近東で交配し当然大柄な遺伝子も混ざったはずですが、 その遺伝子はヨーロッパ人やアジア人の先祖を分化形成したY-DNA「F」系に受け継がれ、Y-DNA「C」や「D」「E」系には受け継がれていないと思っていました。 事実現在生き残っているY-DNA「D*」や「C2」は小柄なネグリートです。当然石器・縄文人も遺伝子上ネグリートだったはずですが、 富山の71体もの縄文前期の遺骨の中に170cmはある大柄な縄文人が混じっていたということは、

・ネアンデルタール人自身がY-DNA「C」「D」に混じって
 インド洋−スンダランド−東シナ海−黄海ランド−日本へと移動し、縄文人の一部に混じっていた。
・ネアンデルタール人との交配が中東で進んだY-DNA「D」もしくは「C」の中に
 大柄な遺伝子を獲得した個体がおり、「D2」「C1」の誰かが受け継いだ。

  男一匹五尺の体、150cmが標準だった戦前までのネグリート形質全開だった日本人男性の中にも大柄な男性は当然いたわけですが、 縄文時代から既に大柄な個体がいたとなると、素直な解釈は、日本人も含めた現在人の遺伝子の1−4%を占めるアンデルタール人の大柄遺伝子は、 縄文人にもあったと言うことなのでしょう。

  その後遺伝子解析のニュースが特にない処を見ると、普通に縄文人だったようですね。

以上
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30-15. 縄文人は長生きの世代が現代同様の人口比率で生きていた

  当方も大学の研究室時代にお世話になったことのある科学研究費の成果報告の中で聖マリアンヌ医大の素晴らしい報告をご紹介します。考古学ジャーナル増刊号にも紹介されているようです。

  年齢の新しい測定方法を開発したようなのです。そうなんです、長生きだったんです。縄文文化を矮小化したい御用学者達が洗脳してきたような縄文人は短命なんかではなかったのです。 充分に生きたのです。縄文人は普通に長生きだったのです。当然の結果です。日本列島は過酷な環境では全くなかったのです。 勿論現代のように100才まで生きたとは考えられませんが、1万年前に65才なら充分長生きだったでしょう。
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  縄文時代の日本列島は先祖が普通に活動をすることができた時代なのです。一万年も続いたのです。日本列島の南琉球から北海道までY-DNA「D2」で埋め尽くされていたはずなのです。 そしてY-DNA「C1」と「C3a」が一緒に土器製作集団として共存していたはずなのです。とは言っても1億人いたわけではありません。 生殖力の高いY-DNA「O」の弥生人や渡来系が人口の合計50%ぐらいを占めるのに2000年もかかったほど縄文人の人口は多かったはずなのです。 とにかく無精子症や乏精子症の割合の高い生殖力の劣る縄文系が何故今でも男性人口の50%近くを占めているのかはまだ解明されていません。

  日本列島は一万年に及ぶ縄文時代でY-DNA「D2」、「C1」、「C3a」の石器時代からの先住集団は縄文時代に入って熟成され相当な人口に達しており 現代日本の基層になる精神文化を形成していたはずだ、という点が当ガラパゴス史観の解釈です。

  ところが縄文人は単なる原始人として日本列島における縄文人の存在意義を認めない学者達の意図で、縄文人は短命で数万人程度の人口であったと喧伝され、 縄文時代は一万年も続き、縄文後期には農耕が始まっていたにもかかわらず、縄文文化及び縄文人の日本列島における影響は「無視」されてきました。

  y-DNAとmtDNAの調査結果は日本列島の基層文化は間違いなく圧倒的に「縄文文化」そのものであること、 縄文の古代遺伝子を受け継ぐ現代日本人は一般民衆で男系Y-DNAで約50%、女系mtDNAでは更に多い66%に達していることが解明されました。

  ところが残念ながら学者達の啓蒙効果は大きく、一部の先進的な報告を除き縄文文化はまだまだ過少評価され続けています。 グローバルでここまでY-DNA遺伝子の解明が進んだにもかかわらず、TVでもY-DNAの話題は一切でず、今でも当たり障りのないmtDNAだけが時々取り上げられます。

  徳島大学医学部故中堀教授の科研費研究の調査によると、縄文人の主力構成遺伝子であるY-DNA「D2」で子供がいる男性の精子数は平均で通常より20%も少なく、 特に1/3の男性は精子の数が1/4以下の厳しい乏精子症であることが確かめられました。なかなか妊娠しにくいのです。しかも30才を越えると精子の数が半減してしまうらしいのです。 要するに生殖適齢期が短いのです。

  ところがもっと困ったことに無精子症の患者は何と他の遺伝子の2〜4倍も高いことがわかったのです。これは何を意味するのでしょうか? 何故人口増加力の劣る縄文遺伝子集団の中のY-DNA「D2」が今でも日本人遺伝子の中の最大の遺伝子集団(頻度40%)を維持できているのでしょうか?答えは出ていないようです。

  当ガラパゴス史観の主張はY-DNA「D2」のこの無精子症/乏精子症は出アフリカ後の中東で出会ったネアンデルタール人との亜種間交配の副作用と考えていますが、 縄文晩期以降のY-DNA「O」集団との異遺伝子交配の副作用かもしれません。また現代のストレス社会になってからの現象とも考えられないことはないのです。 出アフリカしたときの古代遺伝子を維持しているY-DNA「D2」は良き日本の心の源泉ですが、古い体質だけに近代化された現代社会のストレスには極めて弱いのかもしれません。

  残念ながら、中堀教授は僅か53才で逝去されました、極めて残念です。もし生きておられたらもっと日本人の遺伝子の研究が進んだのに思います。

  縄文時代に数万人しか人口がなくしかも短命だったなら、無精子症/乏精子症の縄文系Y-DNA「D2」はどうやって生きのび、日本の男性人口の40%を占めるにいたったのでしょうか? しかも日本人の人口が爆発的に増加したのは近代化されてからです。やはり縄文時代に日本列島は南琉球から北海道までY-DNA「D2」とパートナーの「C1a」、「C3a」が 今いわれている数万人程度ではなくもっと圧倒的な人口に増加していたはずです。

  もし生殖機能の弱い縄文人がもともとそんなに人口が少なかったなら、長江文明の子孫である弥生人Y-DNA「O1a」、「O2a」、「O2b」や渡来系Y-DNA「O3」の高い人口増殖率で とっくに人口比が逆転しているでしょう。 特に中国を見てもわかるように「O3」の持つ高い人口増殖力はもの凄い物があります。 Y-DNA「R1」と並ぶ最も新しい遺伝子「O3」の生殖力は圧倒的なのです。誰か支配層に毒されていない中立な研究者が正しい人口推移を試算をしてくれればありがたいのですが。 まだまだ時間がかかるでしょうね。

  話は変わりますが、大陸から大挙して逃げてきた弥生人「O2b」も縄文人に比べれば少数だったからこそ共存するために縄文人の縄文語文法を受け入れたのです。 そして先進だった水田稲作農耕関連単語をもたらしたのです。「O2b」の兄弟遺伝子の「O2a」が14%も占めるからこそドラヴィダ人にも同じ水田稲作関連単語が存在するのです。 ドラヴィダ人のタミール語は日本語の祖先では全くありません。弥生人と同根のため弥生単語と非常に近い単語が残っているというだけで縄文語こそが基層日本語なのです。 遺伝子解析が進んだ今なら大野晋先生はもっと違った結論を見出したでしょう。

  そして征服者たる「O3」大和朝廷支配層は官僚機構内では日常的に漢語を話し漢文で書き、外に向けた発信では先住縄文・弥生集団を懐柔するために都合のよい圧倒的多数の話す縄文語を受け入れたのです。 だから漢文を縄文語を話す大衆のために読み下したのです。そうでなければ漢語のまま話せばよかったのです。「読み下し」とは縄文語に翻訳することなのです。 そしてその縄文語はY-DNA「D」の話していた文法・単語体系です。

  しかし縄文人の凄いところは弥生単語(勿論長江文化も)も取り込み、漢語の単語(勿論漢文化も)も取り込み縄文語を日本語に昇華させてしてしまったところです。 そして明治以降積極的に西欧単語(勿論西欧文化も)も取り込み、恐らく世界で最もグローバルな単語の語源体系を持っているのが日本語です。 しかも出アフリカしたときの古代遺伝子集団が話していた文法をいまだに維持している、という恐るべきガラパゴス性、つまり日本語の成り立ちそのものもガラパゴスの面目躍如の結果なのです。

  このようにどんな文化でもすぐ取り込み、日式に改善・アレンジしてしまう能力「改善力」こそが「Japonisation」つまり「ガラパゴス力」なのです。 1万年の伝統を誇る日本人の「Japonisation」なのです。そして出アフリカした当時の遺伝子を維持している縄文人こそが 心やさしき日本人の精神風土の基層になっているのです。

以上
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