30-16. 5000年前 前後頃、縄文中期は豊かだったようだ!

rev.6 縄文人は海を渡った!  2015年3月31日 朝日新聞

 5000年前頃の縄文人は海を渡っていたことが八丈島の遺跡からわかったそうだ。
 これはrev.4で解説したように縄文Y-DNAを構成するY-DNA「C1a1」が船/舟を巧みに操れる海洋性ハンターであったことを考えると極めて当然のことである。

 つまり縄文人の核となるY-DNA「D2」と共に中東から東進を共にしてきたと考えられる縄文人の技術を担ってきたらしいY-DNA「C1a1」の弟遺伝子のY-DNA「C1b2」(旧「C4」) の祖先はScienceの論文で42000年前には既に外洋漁業を行っていたことが報告されているが(当記事14-4)、
 当然兄遺伝子の縄文Y-DNA「C1a1」も海洋性ハンターで航海は得意だったはずである。
 恐らく日本沿岸に古くから残る漁村や捕鯨基地等はY-DNA「C1a1」の活動基地だった可能性は大きい。

 日本列島はこの縄文系の海洋性遺伝子のY-DNA「C1a1」が沿岸に棲み、内陸性ハンターのY-DNA「C2a」が山間部や山村に棲み、Y-DNA「D2」が平地に1万年近くの長期間棲み分けていたと考えてよいだろう。



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rev.4 縄文の多彩な食生活!  2015年3月17日 朝日新聞

 縄文人の食事は多彩だったことがわかってきた。狩猟採集民だったはずの縄文人は限られたシンプルな素材の食事と考えられているが、実は結構グルメだったことがわかりつつある。

 縄文人の核となるY-DNA「D2」と共に中東から東進を共にしてきたと考えられる縄文人の技術を担ってきたらしいY-DNA「C1a1」の弟遺伝子のY-DNA「C1c」(旧「C4」)は Scienceの論文で42000年前には既に外洋漁業を行っていたことがわかっているが(当記事14-4)、  当然兄遺伝子のY-DNA「C1a1」も海洋性ハンターで漁業は得意だったはずである。縄文遺跡から魚食の跡が発見されるのは至極当たり前の話である。 内陸性ハンターでナウマン象ハンターだったらしいY-DNA「C2a」(旧「C3a」)が列島に南下してきて縄文人の食事は一気に動物性が増えたはずである。
 従って海に近い縄文遺跡から発掘される食事は海洋性が多く、内陸の縄文遺跡では大型動物が増えるはずである。

 この発掘調査の最大の欠点は、Y-DNAを調べずにmtDNAしか調べていない半端な研究で、意識的に縄文人は北方性であることを植え付けようとしているようだ。
 もっとも内陸性ハンターでシベリアの寒冷化に伴い南下してきたナウマン象や大型動物を追いかけ一緒に南下し日本列島に渡ってきたらしい北方形質を持つY-DNA「C2a」が この遺跡に既に混じっていたなら当然の結果であり、Y-DNA「D2」,「C1a1」と「C2a」の交配は5000年前頃には行われていたほど早かったことになるだろう。


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rev.3 縄文時代の「高級住宅地」とは!  2015年2月17日 朝日新聞

 これまで関東の縄文遺跡は都市化の波で住宅の下に埋まり見えないことをいいことに、学者達は縄文文化を矮小化することに腐心してきましたが、 縄文の豊かさを示す遺跡が発掘されるたびにそのような矮小説が覆されてゆくのは時間はかかりますが非常に良いことです。

 何を持って高級住宅と定義するのかは難しいかもしれませんが、1000年で600軒ほどの住宅跡が見つかり、数十人規模の集落が1000年近く続いたらしいのは驚くべきことです。 要するに狩猟採集文化としても定住するほど豊かな自然だったと言うことに意味があります。

 獲物を追いかけて放浪しているだけの生活ではなかったと言うことなのです。



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rev.1 縄文時代は実は豊かな時代だった!  2015年1月30日 朝日新聞

  縄文時代を矮小化したい学者たちによって長い間極めて未開の少数先住民扱いされてきた縄文人・文化も近年の発掘でもっと豊かな文化を持っていたことが認められつつあります。

     ところが縄文時代の相当数の遺跡は120mも上がった海面上昇によって現在の海の中に沈み汚泥の中に埋もれてしまっています。 また縄文人が最も多かったと推測される関東平野も遺跡の多くが都市の下に埋もれてしまっています。

  1月30日付けの朝日新聞では、今回、新宿区で、いわゆる貝塚などが見つかる当時の海岸線よりではなくもっと内陸の台地(工事現場)で11体もの縄文人骨が見つかりました。 4000年前頃と判明したそうです。

  縄文人はかつて高名な学者によって少数の未開人だとされ、その見解が今でも受け継がれ日本人の人口は奈良時代まで低迷していたことにされてしまった。 つまり縄文−弥生人の子孫は未開の少数民族であって、大陸(朝鮮半島)を追い出されてきた武装侵攻侵略者集団の大和朝廷族と武士団族が大量に渡来し人口は増えたんだ、という論法です。

  その後の歴史人口学者たちも全てこの論法を踏襲しています。当ガラパゴス史観が現ホームページを立ち上げた理由はまさに縄文人と弥生人の復権を目指すためです。 これらの学者たちが意図的に少なく見積もった縄文の遺跡数や、意図的に短く見積もった寿命を現在の新しい知見でまっとうな研究者が見直してもらいたいものですね。



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rev.1 縄文期の寒冷化はなかった?  2014年12月15日 朝日新聞

 日本文化の基層を現代にいたるまで連綿と形成している縄文時代を何が何でも矮小化したい学者達は、縄文後期は寒冷化のため縄文人とその文化は衰退したと宣伝してきました。

 しかし発掘が進むほど縄文文化は豊かな文化だったらしい足跡が見つかっていています。 今回とうとう縄文時代は寒冷期に衰退したどころか、寒冷期そのものがなかったのではないか、という最新成果が出てきました。当然、伝統的な学者たちは記事中にもあるように冷やかに反対しています。

 今回の成果が、今後の学会の動向を左右できるほどの力を持つかどうかはわかりませんが、縄文を大切にする当ガラパゴス史観は注視して見守りたいと思います。

 

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