30-25. Y-DNAから見た隼人、熊襲、蝦夷考

  ● 隼人と熊襲(球磨囎唹)そして蝦夷

  縄文遺伝子の技術者集団だった漁労系ハンターY-DNA「C1」と内陸系大型獣ハンター「C3a」遺伝子は日本列島の各地から検出されていますが、九州や東北にも当然のことながらかなり居住していたと考えられます。

  大和朝廷族の記紀などの情報では、隼人も熊襲も南九州の集団だったようです。

● 隼人考

  Y-DNA「C1」は南方から「D」と共に陸だった東シナ海−黄海ランドを遡り、沖縄には港川人という石器時代の遺跡を残しオーストラロイドと最近判明しましたが、そのまま沿岸部を恐らく漁労に適した海辺で拠点を形成しながら、青森まで北上し津軽海峡(ブラキストン線)に行く手を阻まれ定着したため、現状のデータでは沖縄と青森に今でも「C1」としては列島で最大の遺伝子頻度8%以上を残しています。つまり約12人に1人は「C1」なのです、これは驚くべき頻度と言うことができます。オーストラロイドの遺伝子は意外に多いのです。これらから推察すると海と関連が深いような記述の多い隼人は当然「C1」で海洋性の海の男の原点遺伝子でしょう。しかし同じ「C1」遺伝子は沖縄から青森に至るまで沿岸(特に太平洋)各地に残ってきたはずなのです。本来なら隼人は日本列島各地に居住していたはずです。恐らく風土記を詳細に調べれば隼人と同じ風俗習慣の集団の記載が見つかるはずです。

● 熊襲考

  一方Y-DNa「C3a」は韓半島から大型動物を追って南下して来た陸のハンター集団のため、沿岸部には居住せず内陸部に居住していたはずです。九州に「C3a」としては列島で最大の頻度8%を残しています。熊襲の記述は内陸的なので間違いなくY-DNA「C3a」でしょう。恐らく肥後もっこすの形質は「C3a」ではないかと考えられます。海幸彦が「C1a」なら、山幸彦が「C3a」で、大和朝廷族に恭順的だった海幸彦が記紀で良く描かれ反抗的だった熊襲の山幸彦は負けたように描かれたのでしょう。

  陸のハンター「C3a」にとって大型動物、ナウマン象なども獲物だったはずで、長野県の野尻湖にナウマン象の化石が発見されることから、本州にも動物を追って「C3a」は移住したはずです。しかし沖縄では頻度が低く九州南部で多くは留まったようです。寒冷化し始めたシベリヤで寒冷地適応を若干受けた「C3a」は、オーストラロイドの形質そのものだった彫深でいかつい顔立ちの「C1」に対し、ややいかつさが減りツルっとした端正な彫深のイケメン顔立ちに変化をしていたはずです。交配が進んだ現在と異なり、当時は大和朝廷族や純粋な弥生人の子孫とはかなり異なる顔立ちだったはずです。

  多くの弥生人は居住地域が似通っていた「D」のジャガイモ顔系の縄文主流系とは交配をしていたはずですが、ハンター系の「C」とは居住地域がかなり異なるため、古代には交配はあまりなかったと考えられます。   「C3a」は「C1」と較べて独立性や独自の風俗習慣を頑なに守り通そうとした集団だったようです。出シベリアしアメリカ大陸に渡る大冒険を行った「C3b」、ユーラシア大陸の東西に大モンゴル帝国を作った「C3c」など「C3」は大陸的な大冒険遺伝子の集団で、支配したがり屋の搾取遺伝子の「O3」大和朝廷族とは全く相容れないのは当然でした。このため大和朝廷族とは衝突を繰り返し、ハンター集団だったため武力もあり、大和側はかなり手こずったようです。

● 蝦夷考

  Y-DNA「C1」と「C3a」は当然蝦夷の構成遺伝子だったはずです。日本列島で他に蝦夷を構成する遺伝子はありません。「D2」は大和朝廷族に対抗するような武力を持てたはずがありません。

  坂上田村麻呂と戦った「阿弖流爲」等の武力から推察すると、「C1」より大型獣ハンターの「C3a」の方が蝦夷の軍事的な中核だったような気がします。従ってY-DNA「D2」だった当時の原アイヌは蝦夷では全くありません。無関係でしょう。では北日本に残る「ナイ」や「ベツ」などアイヌ語似の地名は何処から来たのでしょうか?

  もっと時代が下がったオホーツク文化人のY-DNA「C3c」のニヴフ族が持ち込んだ内陸地系形を表す「C3c」単語と同じシベリア起源の古住シベリア民だった「C3a」が持ち込んだ単語が似ていた、と言うことだと思います。「D2」ではなく「C3」起源でしょう。もし「D2」なら日本中に「ナイ」や「ベツ」など似た地名が大量に残っているはずですが、そうではないので大和化が遅れた北日本にのみ蝦夷の中核だった「C3」の単語がかろうじて残ったのではないかと思います。

●雑考

  「O2b」は庶民の中では上の土地持ち農民、「D2」は狩猟採集が中心の名もない小作人的な下等庶民だったと思われます。この体制は1000年以上続き、農地解放で小作人が農地を持つことが出来たことでやっと「D2」は名実共に名前が持てるようになったのです(苗字そのものは明治維新時に持てましたが、名実ともに1人の日本国民になったのは戦後で、マッカーサーがこなければ、日本列島は未だに支配階級の「O3」と地主の「O2b」がのさばり、「D2」は貧しい小作人のままだったでしょう。)

●補考

  現代アイヌ民族は本当に北海道の先住民族でしょうか?これは非常に政治的に微妙な問題ですが、ガラパゴス史観的には避けて通れない命題です。もしY-DNA「D2」85%、「C3c」15%の現代アイヌ人が先住民族なら、日本列島に住む全てのY-DNA「D2」と「C1a」、「C3a」遺伝子国民も同様に石器-縄文時代から列島に住んできた先住民になります。人口が少なく近代化が遅れ古い文化を残してきたという理由だけで先住民扱いになるのは大いに疑問に感じます。

  現在日本人として扱われている古代遺伝子「D2」「C1a」「C3a」は、侵略征服者が「O3」漢族で、現代アイヌ人の古代遺伝子「D2」は侵略征服者が「C3c」古代ニヴフ族だったと言うだけの違いでしかありません。

  「O3」は大和朝廷族や武士団族を形成し、日本と言う国家を確立するために猪突猛進し、我々縄文−弥生交配族の子孫は従わされて、幸い近代化し今に至ります。一方古代ニヴフ族は「D2」に対し熊祭りなどシベリア民独特の辺境風俗習慣を押し付けましたが、旧態依然のまま近代化できず我々縄文の同胞の「D2」を辺境民族に陥らせた責任は重大です。現代アイヌ人の中の85%を占める「D2」遺伝子グループは同じ「D2」の日本人に同化することが歴史の自然の流れだと感じます。ただし残り15%の古代ニヴフ族直系の子孫「C3c」は望むなら先住民で残ってもおかしくはありません。mtDNAも同様で「M」系は日本人に、20%の「Y」系は古代ニヴフ族直系の子孫として先住民で良いかもしれません。

  しかし漢族の歴史を見ると同じ民族でありながら、「O3」に同化した他遺伝子群は今は完全に漢族の一員で、同化しなかった群は53近くの少数民族として認定され辺境民扱いされています。土地が繋がっていても孤立化を選ぶ集団は必ずいます。しかし北海道はたまたま津軽海峡で隔離されていたため、「O3」の侵略が及ばず辺境に残っただけです。明治以降やっと「O3」の支配が北海道にも及ぶようになった現在、現代アイヌ民族として孤立の道を歩む必要は全くないはずです。日本各地にその土地の古い文化が継承されているように、アイヌ文化は北海道の土地の古い文化として日本文化に同化して残ればよいはずです。

  これは歴史の必然のように感じます。われわれ縄文と弥生のご先祖が共存し交配し同化してきたように、望むなら「C3c」も今からでも同化すればよいのです。「O1a」の文化かもしれない”なまはげ”や”トシドン”だって奇祭です。「C3c」の熊祭りだって奇祭として残せばよいだけです。日本列島は様々な遺伝子が混じり合って出来上がった遺伝子集団です。本州以南には全くない「C3c」が新たに仲間として入って何もおかしくはありません。全てを飲み込むのが日本列島なのです。遺伝子集団とはそういうものです。

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