30-5. 6〜70000年前頃、ホモサピエンスの出アフリカ

1. ホモサピエンス(新人)の登場と出アフリカ

  最新の研究では、最初のホモサピエンスであるミトコンドリアイヴ(mtDNAイヴ)の出現は20万年前頃らしいです。 当然のことですが原人の中に一人のホモサピエンスが誕生しても今の現代人類が生まれたわけではありません。 そのmtDNAイヴが進化していない原人男性と交配しながら進化した遺伝子を持つ子供を産み、その子供たちが進化していない相手と交配し、 少しづつホモサピエンスの遺伝子を広げ、13万年前頃にやっと男性のホモサピエンスのY-DNAアダムが誕生したいうことなのです。つまり進化は女性から始まり、男性に伝播してゆくのです。



  これは当たり前で本来生物は「メス」のみの単性生殖でしたが、それではバクテリアからバクテリアが生まれるだけで生物は永遠にバクテリアだけだったのですが、 生殖専用の「オス」という存在が「メス」から創り出され、生物を多様化させることに成功したのです。この「オス」の創造が地球にとっては最大の発明なのでしょう。 と言う訳で、数十億年かかって人類まで到達した、という事だそうです。
  mtDNAイヴが誕生してY-DNAアダムが出現するまで7万年近くかかっているというのですが、これは人類にとっては長い期間ですが、 生物の歴史の中では一瞬でしかありません。同時出現と同じなのです。

  こうしてY-DNA「A」が誕生しmtDNA「L」と共にアフリカ大陸の今でいえばケニア、タンザニア辺りの森林地帯で少しづつ増殖をしたようです。 この頃のY-DNA「A」は当然ですが草原でアウストラロピテクス時代と変わらない狩猟をおこなっていたようです。

  ところがアフリカ大陸は徐々に灼熱化し、スタンフォード大学の研究では、2000人ほどの絶滅危惧種に陥り、先輩人類と同様新天地を求め出アフリカを決行したらしいのです。 研究者は出アフリカしたのは今の角アフリカと言われるソマリア近辺だろうと考えています。当然ですが、海面は今より低くアフリカ大地とアラビア半島はこの辺りで繋がっていたのです。 そしてこの中東で人類がであった最大の出来事は亜種で先輩人類のネアンデルタール人との出会いと交配でした。 60万年ぐらい前に先に出アフリカしたネアンデルタール人は既に当時の新人と比べるとはるかに高度な文化や技術を持っており、更に北欧付近で高緯度地適応もしていた様です。 亜種間交配した新人は、ネアンデルタール人が数10万年かかって獲得したすべてを、一気に獲得したのです。

 Stanford大学の研究で、我々現代人の祖先は60000年−70000年前頃の気候大変動で2000人程度まで減少し絶滅する寸前の「絶滅危惧種」だったそうなのですが、 そのことが原因で生き延びるために現代人の祖先は必至の思いで、全く住めなくなった極砂漠化したアフリカ脱出を決行し、 当時陸続きだったアラビア半島南端からサバンナ気候で住みやすかった中東に逃げました。 そこには先住民族のネアンデルタール人がいて多少の交配があったようです。その頃の気候図がWikipediaにありました。



  我々出アフリカした現代人の遺伝子の1-4%はネアンデルタール人との交配の結果取り込まれたものだそうです。 そのサバンナ気候の中東にどのくらいの期間住み着いたかは詳しくはわかっていませんが、オーストラリア亜大陸に アボリジニの祖先が現れたのが50000万年以上前と明らかになってきたことは、現代人類の移動は早かった、ということです。 80000年前には中国大陸に到達していたという最新報告もあるくらいです。 当時の海岸線沿いにひたすら移動を続け陸続きの最西南端に一気に到達したようです。このためアボリジニは古い形質を残していると考えられています。

  このように最終氷期当時の海岸線は現在よりも最大で120mも低かったと考えられています。 このため現在ユーラシア大陸の沿岸にある島はアンダマン諸島もインドネシアの各諸島も海南島も台湾も日本列島もサハリンもすべて陸続きのだったようです。



  2つの地図はすべてWikipediaから拝借したものですが、上の地図は最終氷期の最寒冷期の陸地をあらわしているそうです。 一方下の地図は上図に現代の陸地を黒い線で示し、、当時ユーラシア大陸の沿岸部で現在海没し大陸棚になった部分を緑色で示しています。 これで一目了然なのは日本列島もユーラシア大陸の一部でアメリカ大陸まで陸続きだったことです。 こうしてアボリジニの祖先は出アフリカ後一気に陸地の最東南端であるオーストラリア亜大陸に到達したそうです。

  では我々日本人の最大の祖先である縄文人の祖先集団は出アフリカ後Y-DNAハプロタイプ「D」が確立した55000年前頃から縄文文化草創期の11000年前頃まで、 どこで何をしていたのでしょうか?まだ全くわかっていません。チベットにY-DNA「D1」「D3」が存在するということは 日本列島弧部分に到達する前に亜型に分化する時間があったと考えるのが自然です。 同様に「C」もニュギニアに亜型の「C2」、アボリジニの「C4」があることからオーストラリアに到着する前に既に亜型に分化していたと推測できます。 このためスンダランドがその分化の場所と今は考えられているようです。

以上
30-6. 60000年前頃、Y-DNA古代4亜型への分化

  1.古代Y-DNAハプロタイプ亜型「D」「E」「C」「F」への分化

  人類のY-DNA、mtDNA遺伝子のハプロタイプ(型)を分化させた最初の推進力はネアンデルタール人との交配でしたが、次に大きい要因は異種ハプロタイプ(型)間交配になります。出アフリカした人類のハプロタイプは古代シーラカンス遺伝子「D」、「E」、「C」、「F」の4種あります。「D」、「E」と「C」は亜型への分化に留まりそれ以上の新興ハプロタイプへの分化は起こりませんでした。不思議なことに「G」から「T」までの全ての新興遺伝子ハプロタイプは全て「F」から分化してきたのです。

  60000年前頃に中東で分化したY-DNA遺伝子のうちY-DNA「C2」と「C4」は50000年前頃には既にサフールランド(ニューギニア/オーストラリア大陸に到達していたことがわかっています。1万年かかってというか僅か1万年でインド洋からスンダランドの沿岸を東進し到達していたのです。昨年のサイエンスの論文でオーストラロイドY-DNA「C2」と「C4」の祖先は高度な海事技術を持ちマグロを取っていたことがわかってきました。インド洋の沿岸を徒歩だけでなく船で走った可能性も相当高いのです。

  中東から東に向かった祖先集団は恐らくインド亜大陸で相当期間留まりそこで交配を深めたと考えられます。文化的にも発展をしていたと考えられます。欧米の研究者は特にY-DNA「CF」と「D」は行動を共にし、交配度を深めていた可能性が高いと書いています。

  しかし「E」は何を考えたか再度西に向かい大多数はなんとアフリカ大陸に出戻ってしまったのです。理由はまだ解明されてはいません。そして先住民であったY-DNA「A」、「B」と交配し、現在に至るアフリカンを形成したのです。現在100%の「A」、「B」と「E」部族は存在しませんが、互いに交配をする中で亜型、子亜型へ分化が進み特にY-DNA「E1b1a」はアフリカの最も代表的な遺伝子になっています。

  一方アフリカではなく地中海の北側に移動した集団もいました。彼らは先住民だったY-DNA「I」と密に交配しY-DNA「E1b1b」に分化し、現在のラテン系の遺伝子となっています。この遺伝子は後に「J」セム系遺伝子と密に交配し「J2」を分化させました。この「J2」遺伝子は「E1b1b」と共にメソポタミアの農耕文明遺伝子となり海に出てフェニキア人遺伝子にもなりました。「I」はクロマニヨン人の遺伝子で「I1」はノルマン人の遺伝子になっています。「I2」はバルカン民族の遺伝子になりました。つまり「I」はバイキングの主流遺伝子でもあるのです。この「I」も「J」も「F」から分化した第二世代の新興遺伝子なのです。

  ではY-DNA「D」と「C」はインド亜大陸で何をしていたのでしょうか?インド周辺にはY-DNA「D*」がほんの少数点在しています。そして南のアンダマン諸島には100%のY-DNA「D*」が現存しています。Y-DNA「D」はインド亜大陸に一時拡大をしたようですが、生き残ることはできなかったようです。「C」も同様だったようです。「D」以上にインド亜大陸には残っていません。

  一方「F」はインド亜大陸で大いに隆盛し東南アジアにも一部拡大をしましたが「F」自身それほど目立つ部族は全くなく、特筆すべきは第一世代の新興遺伝子であるコーカサス遺伝子Y-DNA「G」、ロマ族遺伝子「H」と近代文明遺伝子の親遺伝子のY-DNA「IJK」に分化したのですが、分化した要因はまだ解明されていません。一体何が遺伝子分化の推進力だったのでしょうか?



  このように出アフリカしたホモサピエンスのY-DNAはネアンデルタール人との交配でY-DNA「DE」と「CF」の2グループに分化し、 更に恐らくインド亜大陸辺りで「D」、「E」、「C」と「F」の4種の古代シーラカンス遺伝子に分化をしたようです。 このうち「D」、「C」と「F」が日本人の遺伝子を作りだしたのです。

以上

     2.アンダマン諸島のY-DNA「D*」Jarawa族とOnge族

  欧米の研究者はアンダマン諸島の古代からの先住民のJarawa族およびOnge族のみがY-DNA「D*」で他の先住民は「C」系と書いています。「C5」はインド亜大陸にも存在する古代遺伝子の一つです。Y-DNA「D*」は古代の生き残り遺伝子とも書いています。つまりシーラカンス遺伝子なのです。更にmtDNAは「M2」と「M4」があり「M2」がアンダマン諸島オリジナルで「M4」はインド亜大陸にも存在するそうです。mtDNA「M2」がY-DNA「D*」のパートナーのようです。最新のデータでは「M31」と「M32」がmtDNAだそうです。女性は外から嫁入りしてくるため人口100人にも満たない希少部族では新しい女性が加わるとmtDNAはすぐ変化してしまうようです。

  そのアンダマン諸島先住民は19世紀末の古い写真を見ると黥面文身であることが解ります。この事実だけでも極めて古い集団ということができますが、研究者は出アフリカをした当時の現代人類の祖先の姿をほとんどそのまま留めているのだろうと考えています。また当時の南アジアや東南アジアは「D」集団が広範囲に居住していたと考えています。結局新興の集団に追われアンダマン諸島以外は壊滅したようです。

     欧米の研究の報告では、アンダマン諸島先住民とは以下のように説明されています。

●数部族に分かれていますが、まぎれもない絶滅危惧部族です。

●Y-DNAの「D*」遺伝子を持つアンダマン諸島先住民は、50000年〜60000年前頃には当時まだ陸続きの陸橋だったアンダマン諸島弧部分に住み着いたと考えているようです。アボリジニの先祖Y-DNA「C4」がオーストラリア亜大陸に到達した頃と同じ古さです。もしかすると一緒に移動していた可能性もあります。

●彼らの、外来者をすべてを殺す習慣はオリジナルの「D」遺伝子や言語を見事に維持し続けた、と考えられています。アンダマン諸島先住民は縄文人の先祖の血を守ってきてくれているのです....感謝!

     出アフリカしたホモサピエンスの生きた化石なのです。日本人は彼らを大切に保護しなくてはなりません。

●アンダマン諸島において、耕作は未知でした、そして、彼らは特有のブタを狩ったり、釣り、などで食生活し、集合して生活をしていました。

●唯一の兵器が、弓と、手斧と木製のもりでした。

●絶滅したタスマニアの先住民とアンダマン諸島先住民のみが19世紀に入っても火を作る方法を全く知らなかった人々だったそうです、木への落雷によって引き起こされた炎から燃え残りを慎重に保存したそうです。

●ところがイギリス人の上陸で1867年のアンダマン諸島では、たくさんのOnge部族民がイギリス人の海軍に殺されました。

●1940年代に、Jarawa部族は彼らの敵意のための日本軍によって爆撃されました。日本軍は世界でチベット人と並ぶ唯2の縄文人の親戚民族であるアンダマン諸島先住民を爆撃するという愚挙を行ったのです。反省....です。

  イギリスの最初の上陸時にはおよそ5,000人の先住民がいたそうですが、虐殺、文明国が持ち込んだ病気、アルコール中毒、インド亜大陸やビルマ(カレン族)からの移住者などの影響で、1901年までには600人に減り、1927年には100人の生存者だけになったそうです。1961年には19人に減りましたが、現在約50人に回復しているそうです。その間絶滅した部族はかなりあるそうです。アンダマン諸島の古代先住民Y-DNA「D*]が絶滅する前に、同じ「D」の遺伝子を持つ日本人が彼らの調査を行えるといいですね!

  下の写真は1970年代のOnge族で女性は当時の伝統的なスタイル、男性はよそ者と会うため一応前を隠していますが普段は何もつけていなかったそうです。女性と比較して大きく見えるこの男性でさえも150cm前後のネグリートなのです。右は2000年代のOnge族で既に洋服を着るようになっています。



  Onge族の大問題は出生率が極めて低いことだそうです。純血を維持してきた種族は残念ながら集団エネルギーがなくなってくるため滅びるしかないのですが、Y-DNA「D2」は現代日本人でさえも無精子症や乏精子症の発生頻度が高い出生率上の欠点があるため、当然Onge族もJarawa族も同様のはずです。それに輪をかけてアルコール依存症など現代文明病に侵されているため日本の縄文人Y-DNA「D2」の祖先系になるY-DNA「D*」がいつまで存在することができるかは極めて疑問になります。絶滅する前に日本は敬意を持って彼らの調査をするべきです。縄文日本人のルーツを確認するためにも。

  下の写真は1980年代のJarawa族です。運んでいるのはココナッツだそうです。



以上
30-7. 〜12000年前頃、氷河期とホモサピエンスの拡散の軌跡

rev.1

National GeographicとIBMの共同運営している「THE GENOGRAPHIC PROJECT」というサイトがありますが、氷河期の地図とホモサピエンスの拡散がわかりやすく世界地図にされているのでご参考に転載します。mtDNAの拡散図もあるのですがY-DNAの拡散図にしました。2011年以降はメンテされていないようなので最新情報ではありませんが、大まかな変化は良くわかります。

1. 6万年以前の地図です。
  白い部分が氷河です。ヨーロッパと北アメリカの最北端が氷河で覆われており、ホモサピエンスの展開はまだ示されていません。















2. 55,000〜60,000年前頃です。
寒冷化が始まりました。北米の半分はすっかり氷河に覆われています。















3. 50,000〜55,000年前頃です。
  アフリカでホモサピエンスがY-DNA「A」から「B」に分化しています。 「B」の一部が出アフリカし恐らく近東でネアンデルタール人と出会い更に「DE」と「CF」に分化し、東ユーラシア(中国大陸とスンダランド)に展開したようです。 この東ユーラシアに展開したのが古代遺伝子Y-DNA「D」と行動を共にしたとされている古代遺伝子Y-DNA「C」のようです。 Y-DNA「D」は東ユーラシアに展開した最初のホモサピエンスだったようです。


4. 45,000〜50,000年前頃です。
  非出アフリカ遺伝子Y-DNA「A」と「B」の子亜型への分化が進んでいます。



5. 40,000〜45,000年前頃です。
  インド亜大陸でY-DNA「C」は「D」との交配で子亜型に分化し、「C4」はオーストラリア大陸に既に到達していることがわかります。 同じく子亜型に分化していたY-DNA「D」はまだ中原辺りに留まっているようです。


6. 35,000か〜40,000年前頃です。
  古代遺伝子Y-DNA「E」は環地中海域(南欧州と北アフリカ)に展開を始め、 インド亜大陸で古代遺伝子Y-DNA「F」から分化した新興遺伝子Y-DNA「I」がクロマニヨン人として欧州に移動し、兄弟遺伝子Y-DNA「J」もセム種として中近東や北アフリカに展開を始めました。 中国大陸の華南辺りではいよいよ新興遺伝子Y-DNA「O」が現れました。新興遺伝子Y-DNA「R」は更に新しい遺伝子なのでまだ現れてはいないようです。


7. 30,000〜35,000年前頃です。
  Y-DNA「D2」が日本列島に到達したことを示しています。日本列島の旧石器時代はY-DNA「D2」及び行動を共にしていたとされているY-DNA「C1」によって確立されたと欧米では考えています。


8. 25,000〜30,000年前頃です。
  最寒冷期(LGM)になり、北欧の氷河が大きく発達し海面がかなり降下しベーリング海峡は広大なベーリング大陸となり、Y-DNA「Q」がまだ氷河におおわれている北米大陸に到達しました。 この時に4タイプ程度のmtDNAも同時に渡っています。日本列島にはY-DNA「O3」が到達したようになっていますが勿論間違いです。この頃に渡ってきたとするならY-DN「C3a」のはずです。



9. 20,000〜25,000年前頃です。
  Y-DNA「C3a」は最寒冷化するシベリアから逃げ南下してきた大型獣を追って日本列島に入ったようです。 一方北東沿岸沿いに移動した部隊Y-DNA「C3b」はとうとうベーリング大陸を渡り北米に到達しY-DNA「Q」と共にネイティヴアメリカンの一部になりました。 中米で発見される縄文土器似の土器の製作者のようです。


10. 15,000〜20,000年前頃です。
  Y-DNA「Q」はとうとう南米大陸に到達しました。しかしY-DNA「C3b」は中米に留まり南米大陸には南下しなかったようです。


11. 10,000〜15,000年前頃です。
  氷河の縮退が始まりました。北欧を覆っていた氷河はスカンジナビアのみに縮小し、北ヒマラヤの氷河も消失しました。


12. 〜10,000年前頃です。
  間氷期になり温暖化し北極圏以外の氷河は消失し、現在に続いています。海面は上昇し現在の海岸線が出来上がり、更なる温暖化で海面は徐々に上昇し続けています。


ご参考にmtDNAの軌跡図です。


  古代の女性は集団を越えて他の集団に移動するという、人類とチンパンジーにのみ認められる行動原理で先ず女性に現れる新しい遺伝子を拡散してきました。
  出アフリカせずにアフリカに残留していたホモエレクトスからネアンデルタール人が進化し出アフリカをはたしましたが、 その間ホモエレクトスのまま進化できなかった残留組からやっとmtDNAイヴが最新の学説で20万年前頃(前説では14万年前頃)に誕生して、 6万年も後の14万年前頃(前説では9万年前頃)にやっとY-DNAアダムが誕生したくらいホモサピエンスのY-DNAが確立するには時間がかかっているのです。 最新学説では14万年前頃にY-DNAアダムが誕生してハプロタイプY-DNA「A」になるわけですが、次のY-DNA「B」が分化するのは最新説も前説と変わらず60000〜65000年前頃ごろだそうです。
  とにかく進化はかなり時間がかかっているのです(と言っても地球年齢から見るとほんの秒単位にもならないそうですが...)。 つまり人類が進化を始めるのに8万年近く(前説では3万年近く)かかっているのです。人類はホモサピエンスに進化してもすぐに古代遺伝子「C」「D」「E」「F」が分化してきたわけではないのです。 「B」の一部が乾燥化して住めなくなったサハラ砂漠から絶滅危惧種に陥りながら先輩人類同様出アフリカを果たし、近東で先輩の旧人ネアンデルタール人と遭遇し、 交配し初めて古代遺伝子「DE」と「CF」に分化を果たしたのです。

  もしネアンデルタール人と遭遇・交配をしていなかったら50000年前頃一気に高まった現代人類の祖先の技術力や芸術性などの進歩はもっと遅れて、 農業革命も遅れ人類は出アフリカしなかったコイサン族やピグミー族などと同様に狩猟採集の今だ古代のままだった可能性も充分にあるのです。 ところが、インド亜大陸で恐らく地の先住ネアンデルタール人と更に交配が進み「CF」から古代遺伝子「C」と「F」が分化し、「F」が更に「G」以降の新興遺伝子群に分化することが出来たおかげで、 ホモサピエンスは更に進化する可能性を手に入れたようです。
  この時に「DE」も「D」と「E」に分化したのですが、「D」はアンダマン諸島のOnge族のように狩猟採集のまま留まり、「E」はこともあろうにアフリカに戻ってしまったわけです。 結局残念ながら「D」も「E」も「CF」から分化した一方の「C」も新興遺伝子に分化することはできませんでした。

  まとめると日本人や日本文化の基層にあるのはY-DNA「D2」「C1a」「C3a」が1万年に渡って日本列島で展開してきた狩猟採集(晩期には農耕もあったようだ)の縄文文化であり、 チベット古語と共通する日本語の基層の文法を構成する縄文語です。そして1万年後にやってきた呉系長江文化弥生人Y-DNA「O2b」「O2a」「O1a」と縄文遺伝子が交配し 分化した弥生主役の「O2b1」が新たな農耕文化を日本列島に定着させ、縄文系と密に交配し日本列島を瑞穂の国にしたのです。
  そして最後に朝鮮半島から生き残り競争に負けて追い出されてきた武装侵攻集団「O3」が日本列島を支配し大和朝廷や武士団内で内部抗争を繰り返し、 明治維新を経て戦後ようやくエスタブリッシュメントの「O3」と他の先住遺伝子の交配は進みつつありますが、まだまだ日本列島独自の「O3」子亜型が生じるまでには至っていません。 「O3」は今でも政治や経済の支配階級でもあるのです。田舎に多い縄文-弥生の交配集団は黙々と従う側なのです。

以上
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