30-6. 60000年前頃、Y-DNA古代4亜型への分化

  1.古代Y-DNAハプロタイプ亜型「D」「E」「C」「F」への分化

  人類のY-DNA、mtDNA遺伝子のハプロタイプ(型)を分化させた最初の推進力はネアンデルタール人との交配でしたが、次に大きい要因は異種ハプロタイプ(型)間交配になります。出アフリカした人類のハプロタイプは古代シーラカンス遺伝子「D」、「E」、「C」、「F」の4種あります。「D」、「E」と「C」は亜型への分化に留まりそれ以上の新興ハプロタイプへの分化は起こりませんでした。不思議なことに「G」から「T」までの全ての新興遺伝子ハプロタイプは全て「F」から分化してきたのです。

  60000年前頃に中東で分化したY-DNA遺伝子のうちY-DNA「C2」と「C4」は50000年前頃には既にサフールランド(ニューギニア/オーストラリア大陸に到達していたことがわかっています。1万年かかってというか僅か1万年でインド洋からスンダランドの沿岸を東進し到達していたのです。昨年のサイエンスの論文でオーストラロイドY-DNA「C2」と「C4」の祖先は高度な海事技術を持ちマグロを取っていたことがわかってきました。インド洋の沿岸を徒歩だけでなく船で走った可能性も相当高いのです。

  中東から東に向かった祖先集団は恐らくインド亜大陸で相当期間留まりそこで交配を深めたと考えられます。文化的にも発展をしていたと考えられます。欧米の研究者は特にY-DNA「CF」と「D」は行動を共にし、交配度を深めていた可能性が高いと書いています。

  しかし「E」は何を考えたか再度西に向かい大多数はなんとアフリカ大陸に出戻ってしまったのです。理由はまだ解明されてはいません。そして先住民であったY-DNA「A」、「B」と交配し、現在に至るアフリカンを形成したのです。現在100%の「A」、「B」と「E」部族は存在しませんが、互いに交配をする中で亜型、子亜型へ分化が進み特にY-DNA「E1b1a」はアフリカの最も代表的な遺伝子になっています。

  一方アフリカではなく地中海の北側に移動した集団もいました。彼らは先住民だったY-DNA「I」と密に交配しY-DNA「E1b1b」に分化し、現在のラテン系の遺伝子となっています。この遺伝子は後に「J」セム系遺伝子と密に交配し「J2」を分化させました。この「J2」遺伝子は「E1b1b」と共にメソポタミアの農耕文明遺伝子となり海に出てフェニキア人遺伝子にもなりました。「I」はクロマニヨン人の遺伝子で「I1」はノルマン人の遺伝子になっています。「I2」はバルカン民族の遺伝子になりました。つまり「I」はバイキングの主流遺伝子でもあるのです。この「I」も「J」も「F」から分化した第二世代の新興遺伝子なのです。

  ではY-DNA「D」と「C」はインド亜大陸で何をしていたのでしょうか?インド周辺にはY-DNA「D*」がほんの少数点在しています。そして南のアンダマン諸島には100%のY-DNA「D*」が現存しています。Y-DNA「D」はインド亜大陸に一時拡大をしたようですが、生き残ることはできなかったようです。「C」も同様だったようです。「D」以上にインド亜大陸には残っていません。

  一方「F」はインド亜大陸で大いに隆盛し東南アジアにも一部拡大をしましたが「F」自身それほど目立つ部族は全くなく、特筆すべきは第一世代の新興遺伝子であるコーカサス遺伝子Y-DNA「G」、ロマ族遺伝子「H」と近代文明遺伝子の親遺伝子のY-DNA「IJK」に分化したのですが、分化した要因はまだ解明されていません。一体何が遺伝子分化の推進力だったのでしょうか?



  このように出アフリカしたホモサピエンスのY-DNAはネアンデルタール人との交配でY-DNA「DE」と「CF」の2グループに分化し、 更に恐らくインド亜大陸辺りで「D」、「E」、「C」と「F」の4種の古代シーラカンス遺伝子に分化をしたようです。 このうち「D」、「C」と「F」が日本人の遺伝子を作りだしたのです。

以上

     2.アンダマン諸島のY-DNA「D*」Jarawa族とOnge族

  欧米の研究者はアンダマン諸島の古代からの先住民のJarawa族およびOnge族のみがY-DNA「D*」で他の先住民は「C」系と書いています。「C5」はインド亜大陸にも存在する古代遺伝子の一つです。Y-DNA「D*」は古代の生き残り遺伝子とも書いています。つまりシーラカンス遺伝子なのです。更にmtDNAは「M2」と「M4」があり「M2」がアンダマン諸島オリジナルで「M4」はインド亜大陸にも存在するそうです。mtDNA「M2」がY-DNA「D*」のパートナーのようです。最新のデータでは「M31」と「M32」がmtDNAだそうです。女性は外から嫁入りしてくるため人口100人にも満たない希少部族では新しい女性が加わるとmtDNAはすぐ変化してしまうようです。

  そのアンダマン諸島先住民は19世紀末の古い写真を見ると黥面文身であることが解ります。この事実だけでも極めて古い集団ということができますが、研究者は出アフリカをした当時の現代人類の祖先の姿をほとんどそのまま留めているのだろうと考えています。また当時の南アジアや東南アジアは「D」集団が広範囲に居住していたと考えています。結局新興の集団に追われアンダマン諸島以外は壊滅したようです。

     欧米の研究の報告では、アンダマン諸島先住民とは以下のように説明されています。

●数部族に分かれていますが、まぎれもない絶滅危惧部族です。

●Y-DNAの「D*」遺伝子を持つアンダマン諸島先住民は、50000年〜60000年前頃には当時まだ陸続きの陸橋だったアンダマン諸島弧部分に住み着いたと考えているようです。アボリジニの先祖Y-DNA「C4」がオーストラリア亜大陸に到達した頃と同じ古さです。もしかすると一緒に移動していた可能性もあります。

●彼らの、外来者をすべてを殺す習慣はオリジナルの「D」遺伝子や言語を見事に維持し続けた、と考えられています。アンダマン諸島先住民は縄文人の先祖の血を守ってきてくれているのです....感謝!

     出アフリカしたホモサピエンスの生きた化石なのです。日本人は彼らを大切に保護しなくてはなりません。

●アンダマン諸島において、耕作は未知でした、そして、彼らは特有のブタを狩ったり、釣り、などで食生活し、集合して生活をしていました。

●唯一の兵器が、弓と、手斧と木製のもりでした。

●絶滅したタスマニアの先住民とアンダマン諸島先住民のみが19世紀に入っても火を作る方法を全く知らなかった人々だったそうです、木への落雷によって引き起こされた炎から燃え残りを慎重に保存したそうです。

●ところがイギリス人の上陸で1867年のアンダマン諸島では、たくさんのOnge部族民がイギリス人の海軍に殺されました。

●1940年代に、Jarawa部族は彼らの敵意のための日本軍によって爆撃されました。日本軍は世界でチベット人と並ぶ唯2の縄文人の親戚民族であるアンダマン諸島先住民を爆撃するという愚挙を行ったのです。反省....です。

  イギリスの最初の上陸時にはおよそ5,000人の先住民がいたそうですが、虐殺、文明国が持ち込んだ病気、アルコール中毒、インド亜大陸やビルマ(カレン族)からの移住者などの影響で、1901年までには600人に減り、1927年には100人の生存者だけになったそうです。1961年には19人に減りましたが、現在約50人に回復しているそうです。その間絶滅した部族はかなりあるそうです。アンダマン諸島の古代先住民Y-DNA「D*]が絶滅する前に、同じ「D」の遺伝子を持つ日本人が彼らの調査を行えるといいですね!

  下の写真は1970年代のOnge族で女性は当時の伝統的なスタイル、男性はよそ者と会うため一応前を隠していますが普段は何もつけていなかったそうです。女性と比較して大きく見えるこの男性でさえも150cm前後のネグリートなのです。右は2000年代のOnge族で既に洋服を着るようになっています。



  Onge族の大問題は出生率が極めて低いことだそうです。純血を維持してきた種族は残念ながら集団エネルギーがなくなってくるため滅びるしかないのですが、Y-DNA「D2」は現代日本人でさえも無精子症や乏精子症の発生頻度が高い出生率上の欠点があるため、当然Onge族もJarawa族も同様のはずです。それに輪をかけてアルコール依存症など現代文明病に侵されているため日本の縄文人Y-DNA「D2」の祖先系になるY-DNA「D*」がいつまで存在することができるかは極めて疑問になります。絶滅する前に日本は敬意を持って彼らの調査をするべきです。縄文日本人のルーツを確認するためにも。

  下の写真は1980年代のJarawa族です。運んでいるのはココナッツだそうです。



以上
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