30-8. 21000年前頃のLGMに日本列島は大陸と陸続きだったのか?? rev.2

rev.2

  Natureに最新の調査で最終氷期(LGM)の海面上昇は従来の説の120mから10m高く130mであったのではないかという報告がありました。カリブ海のバルバドス海峡での調査結果だそうです。

Natureの紹介記事が下記です。興味のある方はAbstructをご紹介しますので、原著をどうぞ!

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  約2万年前の最終氷期極大期には海水面は現在よりも130メートル低かったという報告が、今週オンライン版に掲載される。これは以前の研究が示している値よりも10メートル低く、これまで考えられていたよりも多くの水が北半球の氷床に蓄えられていたことを示している。

  Jacqueline Austemannたちは、数値モデルを用いて氷の体積と海洋の質量の変化が過去2万年にわたりバルバドスの下の地殻とマントルにどのような影響を与えたかを評価した。これまでのモデルとは異なり、この試みではマントルの応答に対して沈み込み(テクトニック・プレートが他のプレートの下に移動する)が起きる地域での効果を考慮している。彼らは、その結果を用いて過去の海水面変動を珊瑚礁に基づいて再現した結果に補正を加え、最終氷期には現在よりも海水面は130メートル低かったことを示した。

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Nature Geoscience, doi:10.1038/ngeo1859, 2013/6/23

Barbados-based estimate of ice volume at Last Glacial Maximum affected by subducted plate

The record of sea-level change at Barbados derived from the dating of fossil corals1, 2, 3 has been used to argue that globally averaged, or eustatic, sea level during the Last Glacial Maximum was approximately 120?m below present.

This estimate is roughly 10?m lower than inferences based on sea-level data from other far-field sites4 and, if correct, would suggest that the Barbados record is a largely uncontaminated measure of eustasy.

However, these previous analyses were based on numerical corrections for glacial isostatic adjustment that adopted one-dimensional viscoelastic Earth models. Here we assess the impact of three-dimensional mantle viscoelastic structure on predictions of post-glacial sea-level change at Barbados.

Our simulations indicate that the predictions are strongly perturbed by the presence of a high-viscosity slab associated with subduction of the South American Plate beneath the Caribbean Plate.

The slab suppresses local deformation and reduces the sea-level rise predicted during the deglaciation phase.

To accommodate this reduction while maintaining a fit to the Barbados sea-level record requires an excess ice volume at the Last Glacial Maximum equivalent to about 130?m of eustatic sea-level rise.

Given a downward revision in estimates of the Antarctic ice sheet contribution5 to this excess ice volume, we conclude that a significant amount of Northern Hemisphere ice at the Last Glacial Maximum remains unaccounted for in sea-level-based ice sheetreconstructions.

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バルバドスの引かれたプレートによって影響を受けた最後の氷期最盛期の氷ボリュームの評価

  バルバドスでの海面変更のレコードは化石corals1の日付を持つことに由来しました、2と3はそれを全体的に議論するために使用されました、平均した、あるいは海水面変動、最後の氷期最盛期中の海面はほぼpresent3より下の120?mでした。

"この評価は、荒く他の遠距離場のsitesからの海面データに基づいた推論より低い10mで、正確ならば、バルバドス・レコードがeustasyの大部分は汚されていない手段であることを示唆するでしょう。 "

"しかしながら、これら、前のanalysesは、一次元の粘弾性地球モデルを採用した、氷結している均衡調整のための数の修正に基づきました。 ここで、私たちは、バルバドスでポスト氷結している海面変更の予測への三次元のマントル粘弾性構造の影響を評価します。"

私たちのシミュレーションは、カリブ海のプレートの下の南米プレートのサブダクションに関連した高粘度スラブの存在によって予測が強く乱されることを示します。

"スラブは局部変形を抑えて、退氷過程中に予言された海面上昇を縮小します。 "

バルバドス海面レコードへの適合を維持する間にこの縮小を提供するために、最後の氷期最盛期で超過氷ボリュームを要求する、等価、に、海水面変動の海面上昇の130?mに関して。

"この超過氷ボリュームに南極の氷床contribution5の評価での下方修正を与えられて、私たちは、最後の氷期最盛期の北半球氷の重要な金額が海面に基づいた氷sheetreconstructionsにおいて未釈明のままであると結論を下します。 "

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  この記事の重要性は、水深135mあり最終氷期当時も川状に水が流れていたと推測されている対馬海峡と津軽海峡が最深部以外では陸続きだった可能性が極めて大になってきた、と言う点です。津軽海峡は氷結しいずれにせよ人も動物も渡れた、と考えられていますが、対馬海峡は水深15mもあれば渡るには小舟程度は必要だったと考えられますが、水深5m程度となり、陸続き部分が出現した可能性が高くなると、歩いて渡れた可能性が大になります

  僅か10m程度のことですが、意外に重要な数字なのです。日本列島最初のホモサピエンスと考えられる我々縄文系の祖先のY-DNA「D2」と「C1a」が渡海に苦労して日本列島に到達したのか? 意外に楽に移動してきたのか....です。

  オーストラロイドの祖先の調査で40000年前頃には、ホモサピエンスは東ティモールで既に海洋漁業を行っておりマグロを釣っていたこと(当記事14-4)が明らかにされています。このホモサピエンスは当然Y-DNA「C2」になります。と言うことは兄弟遺伝子の縄文Y-DNA「C1a」(港川人だろう)も当然舟を操っていたはずです。「D2」も「C1a」と行動を共にしていただろうと欧米の研究者が考えていることが正しければ、「D2」も一緒に渡ったと考えられますが、もし陸地部分が出現していたなら「D2」は自力で日本列島に渡れた可能性が大なのです。

  果たしてどうでしょうか?

  人口比で圧倒的多数派の「D2」と少数派の海洋性ハンター「C1a」から見て、「D2」は「C1a」の力を借りなくても徒歩で渡れたと考えたいです。徳島大学医学部の科研費研究で、現在でも無精子症や乏精子症の頻度が他の亜型より高いと解明された「D2」が日本人男性の約40%を占めるには縄文時代に既に元々の人口が大きくなければその後じり貧になるはずですが、現在でも日本人男性の最大のY-DNA亜型を維持しています。

  現代中国を見ても圧倒的な人口増殖率を誇るY-DNA「O3」は今後日本列島でも人口比を増加させてくるはずです。長期間にわたって虐げられてきた我々「D2」縄文系の子孫はますます肩身が狭くなりそうです。



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3-16. 日本列島は大陸と陸続きだったのか? rev.2

rev.1

  日本第四紀学会という歴史ある地質学が中心の学際的な学会があります。歴代の会長は湊正雄さんや亀井節夫さんなどそうそうたる著名研究者が務められてきた権威ある学会です。そのQ&Aに下記のようなものがありました。結論は対馬海峡は人が渡れるような陸続きにはなっていなかっただろう。しかし津軽海峡は氷結し、氷結したベーリング海峡をY-DNA「Q1a3a」と「C3b」が渡ったように、Y-DNA「D2」は渡れた可能性があるのですが、Y-DNA「C3a」が韓半島経由でナウマン象を追って対馬海峡を南下してきた可能性は非常に低いようなのです。

  もしそうなら、Y-DNA「D2」も「C1」も「C3」も沿海州あたりまで北上し間違いなく陸続きだったサハリンから、あるいはもっと北の千島列島やカムチャッカ半島あたりからから、南下し北海道に入り氷結していた津軽海峡(ブラキストン線)を渡り日本本土に入ってきたことになります。しかしまだ東シナ海-黄海ランドは九州と繋がっていた可能性はまだ残っています....。調査を続けたいと思います。結果によっては当方のつたない推測を練り直す必要に迫られるかもしれません。慎重に調査したいと思います。
================================= 質問:
最終氷期には日本列島と大陸間の海峡は完全につながっていたのですか。

回答:
非常にむづかしいご質問で、専門家の間でも議論のあるところで、正直に申し上げて 「現在の段階では誰一人として断定的にお答え出来る人はいないだろう」と思われます。 なぜなら、最終氷期の最寒冷期(カレンダー年代で2.1±0.2万年前)に海洋全体で 海水準がどの位低下したか(最近は120〜135mという説が有力になってきている) 正確にはまだ判っていないし、対馬・津軽海峡(現在の海峡按部の水深は両方共135m) 付近の地殻変動で現在の水深になったのかが不明なためです。 しかし、「可能性として以下のように考えるのが現時点では 最も妥当ではなかろうか」ということをご説明申し上げます。

1. 最終氷期の海水準低下で日本海が閉鎖的になるにつれて、その表層は淡水 の流入によって低塩分化していますが、同じ程度の低塩分化はその前の氷期 (約13万年前)とさらにその一つ前の氷期(約34万年前)にも見られます。このこ とは、対馬・津軽海峡付近の地殻変動が過去34万年の間で著しくなかった、す なわち現在と余り水深が変わらなかったことを示唆します。

2. 最終氷期の最寒冷期を過ぎた頃(1.8〜1.7万年前)から、日本海へ親潮が津 軽海峡を通って流入して来ますが、低塩分化していた日本海の表層塩分は急速 に回復します。このことは、最終氷期の最寒冷期の頃でも津軽海峡はある程度 の水深と幅があったことを示唆しており、もし津軽海峡が陸化していたなら ば、そのような急速な表層塩分の回復はなかったと考えられます。

3. 最終氷期の最寒冷期に対馬海峡を通って大陸からいろいろな哺乳動物の 侵入はなかったが、結氷した津軽海峡の「氷橋」を渡ってヘラジカやステップ バイソンなどの大型哺乳類の移入はあったと考えられる(愛知教育大学の河村善 也教授の最近の見解)。

以上のことから、私は「最終氷期の最寒冷期でも、日本列島と大陸間の海峡 は 完全につながっていなかった」と考えております。

[参考図書]
多田隆治『日本とアジア大陸を結ぶ最終氷期の陸橋』、小泉格・田中耕司(編集)、 講座「文明と環境」第10巻『海と文明』、第1章3節、31-48頁、朝倉書店、1995.

、 回答者:大場忠道


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Googleの津軽海峡の海底部分です。太平洋と日本海を結ぶ海底谷が走っているのが良くわかります。この部分は当時も川として残っていたと思われますが、凍結しており獣は歩いて渡れたと考えられています。では縄文人の先祖のY-DNA「D2」と「C1」ははたして渡ったのでしょうか?

記事14.4でオーストラリアの調査ではY-DNA「C2」の祖先は42000年前には既に海洋でマグロ漁を行っていたことがわかっています。当然舟を操る技術はあったはずなのでY-DNA「C1」も舟を操ったはずですが、凍結状態なら舟は不要です。現代アイヌ人は人口が少なすぎて「C1」は検出出来ていません。オホーツク文化の古代ニヴフ族が北海道を侵略する前には、津軽海峡を歩いて北上した「C1」が存在した可能性も無いわけではないのです。



























同じく対馬海峡の海底部分ですが、全体が広大な東シナ海−黄海ランドの辺縁部で津軽海峡ほどのはっきりした海底谷があるわけではありませんが、日本海から東シナ海にかけて低い部分があります。ここは川ないしは湖沼を形成していたのではないかと思われます。もしかすると全体が浅い海面下だった可能性もありますが、少なくともナウマン象と縄文人の一部のY-DNA「C3a」が南下し渡ってこられるくらいの状態だったはずです。
















最終氷河期の陸地を緑色で示した世界地図です。ほぼ現在の大陸棚そのものです。ベーリング海峡は広大な陸地でした。古代の冒険者たちはここを渡り新天地のアメリカ大陸を目指したのです。アメリカ大陸は古代から目指す新天地だったのです。















  インターネットで入手できた日本周辺の現在の大陸棚のわかる地図と、当時の海岸線がわかる地図を無理やり重ねてみました。海岸線図は意外な資料にありました。出典は「神奈川県立生命の星・地球博物館 2004 ver1.01」です。どうやら子供向けの企画展(「+2℃の世界」ワークテキスト)の資料のようです。タイトルは「日本にいる動物は何処から来たか」です。この中に当時の海岸線図が出ていました。



  対馬海峡はなんとか渡れる川、津軽海峡もなんとか渡れる川でしたが氷結していたので石器・縄文人も大型獣も充分渡れたそうです。宗谷海峡は完全に陸続きでした。



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