30-9. 1万8000年前に北海道と東北は移動の圏内だったようだ

  昨日の朝日新聞に旧石器時代の黒曜石の移動に関するシンポジウムの下記の記事が地味に掲載されました。この記事の内容は当ガラパゴス史観のアブダクションの変更を迫る記事となりました。


























  この記事で極めて重要なことは北海道の黒曜石が、氷河期の最寒冷期頃の1万8000年前頃の氷結した津軽海峡川を人と共に渡り本州に移動していたこと、です。

  当ガラパゴス史観の仮説は、スンダランド→東シナ海−黄海ランドを南方から共に北上してきたY-DNA「D2」、「C1a」と「C3a1(旧C3a)」は韓半島辺りで2手に別れ、主力部隊の「D2」、「C1a」は日本列島弧に入り一部は南下し琉球列島に入り、一部は北上し青森まで到達しブラキストン線(津軽海峡)で留まり、旧石器時代人から日本列島の先住民である縄文人になったと考えてきました。

  そして日本列島弧に入らなかった残りの「D2」と「C3a1」は日本海北岸を北上し東北アジアに入り、「D2」は間宮陸橋から樺太に入り一部は千島列島弧に展開し、一部は宗谷陸橋から北海道に入り古代アイヌ民族になったと考えていました。アイヌ民族はあくまで「D2」別動隊と考えていました。しかし北海道から本州に入った一団がいたと言うことになるとアブダクション(推理)を一部変えなければなりません。

  一方「C3a1(旧C3a)」は東北アジアからシベリアに展開し大型獣等の内陸性ハンターになりましたが、シベリアの寒冷化に伴い大型獣等が南下したのに伴い南下し最終的に韓半島から九州に入ったと考えられます。縄文土器の主力生産者となったようです。南下せず新大陸のアメリカを目指した一隊はベーリング陸橋を渡り「C3a2(旧C3b)」ネイティヴアメリカン(アメリカインディアン)になり、シベリアに留まった一隊はモンゴル族やツングース族などの「C3a3(旧C3c)」になりユーラシア大陸を東西に席巻しました。

  韓半島に「D1」の痕跡はあっても「D2」の痕跡が千島列島以外に全くないということは、「D2」に、日本海北岸を北上した別動隊がいたと言うより、むしろ日本列島からそのまま北上し氷結津軽海峡川を渡り、宗谷海峡や根室海峡から樺太や千島列島に入った、と考える方が自然です。

  これまで動物は氷結した津軽海峡を渡ることができただろうと、第4紀学会も考えていますが、人も渡ったかどうかは?でした。しかし黒曜石の証拠が出たとなると、間違いなく人も渡ることができたのです。

  第4紀学会の説明では最寒冷氷河期の海面は現在より110m程度海面降下したが、水深120mの津軽海峡も対馬海峡も陸橋にはならず狭く水深10m弱の水路(川)だったとしています。勿論プレ縄文人特に海洋性ハンターのY-DNA「C1a」は既に舟の技術は持っていたようなので容易に対馬海峡川は渡ったはずです。(オーストラリアのY-NA「C2」のアボリジニの先祖は既にマグロなど海洋性の魚を取っていたことが報告されています。)

  一方津軽海峡川(ブラキストン線)も川だったのですが氷結していたらしいので、徒歩で渡れたかもしれない、とのことでしたが、黒曜石の証拠で間違いなく徒歩で氷結津軽海峡川をプレ縄文人は渡ったのです。北上も南下もしたはずです。この黒曜石を携え再び南下した後期旧石器時代人(プレ縄文人)がY-DNA「C1」か「C3」か「D2」かわまだ分かりませんが、現代アイヌ民族にY-DNA「C1a」も「C3a1」も存在しないことから、北海道に渡っていたのは「D2」ではないかと考えるのが自然でしょう。

  つまり古代アイヌ民族はY-DNA「D2」の中で日本海北岸を移動した別動隊と言うより、日本列島弧から北上した「D2」そのものだったと考えるのがより自然となってきました(勿論別動隊もいてもおかしくはありません)。

  しかし海面上昇後に韓半島からボートピープルとして水田稲作農耕技術を持って逃げてきた呉系長江人と交配し、更に紀元後韓半島から勢力争いに敗れ追い出されてきた武装流れ者集団の大和朝廷族と武士団族に占領された本土の「D2」(及び「C1a」,「C3a1」)に対し、オホーツク文化の古代ニヴフ族(Y-DNA「C3a3」)に占領されたのが北海道の「D2」です。   いずれにせよ日本列島は北から南まで後から来た侵入者に占領された土地なのです。本土は圧倒的な縄文系の人口により、縄文の精神風土や、それと交配を選んだ弥生系の稲作農耕風土を守ってこれましたが、北海道はもともと少ない「D2」人口だったため簡単に古代ニヴフ族の東北アジア文化に変わってしまったのです。現代アイヌの風俗習慣に果たして「D2」の物が残っているかははなはだ?です。

  本土では占領軍の「O3」大和朝廷族や武士団族は縄文−弥生交配集団を下層民として差別していたため身分が違うと称し交配を拒んできましたが、それが逆に幸いし縄文−弥生風土が残ったのです。しかし人口が少なかった北海道では古代ニヴフ族は古代アイヌ族と交配したようです。しかもY-DNAだけでなくmtDNAにも東北アジア系ハプロタイプが存在するので古代ニヴフは占領軍の男だけでなく男女のセットで北海道に移住したようです。だからこそ「D2」古代アイヌの本来の風俗習慣が容易に東北アジアの風俗習慣に変わってしまったのではないかと考えられます。

  日本の考古学と分子遺伝学は互いにかかわりをあまり持っていませんが、出アフリカに関して考古学の年代考証に分子遺伝学の分子時計を合わせる作業がグローバルで始まっていることから国内でも共同作業を始める時期ではないかと思います。旧石器時代の遺跡からY-DNAが検出されることを期待しましょう。

  この報告は、日本人の縄文人のコアであるY-DNA「D2」がかなり長い間北海道に居住し高緯度地域の形質を獲得し(逆に言うと高緯度地域の形質を獲得するほど長い期間北海道や樺太、千島列島に居住していた)たことを示唆するのかもしれません。「D2」は寒冷化に伴い南下を始め本州に戻ったと考えることも充分考えられます。またシベリアから南下してきたY-DNA「C3a1」も日本人に東北アジア形質を当然持ち込んだはずです。この相乗効果で日本人に、研究者が主張する「東北アジア形質」が強く残ったのかもしれません。


以上

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