1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島
集めたY-DNAデータの中から地中海周辺とバルカン半島、旧オスマン帝国領土に絞りまとめて見ました。
先ずはインターネットから借用した地中海周辺の地図を頭に叩き込んで下さい。そのあとでY-DNA頻度データを見て下さい。
地中海の北岸と南岸に限り、東岸の近東諸国のデータは省きました。 結果をまとめて見ました。 1.ギリシャ 予想通りラテン系Y-DNA「E1b1b1」が主要で、次いでメソポタミア農耕民系Y-DNA「J2」やアナトリア系Y-DNA「R1b」や スラブ系Y-DNA「R1a」、クロマニヨン系Y-DNA「I」等が続いています。またY-DNA「J2」と共にメソポタミア農耕を興したらしい Y-DNA「G」もある程度残っています。このアナトリア系のY-DNA「R1b」はロシアのバシキ―ル人がほぼ純系で、 恐らくアフリカのチャド系Y-DNA「R1b」も同系ではないかと推測しています。 2.トルコ 最も多いのはメソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」です。テュルク民族のオリジナル遺伝子と思われるY-DNA「N」 (ヤクート人の遺伝子)が、西に民族移動を進める過程でイスラム化すると同時に各地の遺伝子を取り込み 最後に到達したアナトリアで東ローマ帝国を形成していた先住民のY-DNA「J2」と「R1b」と「 I 」、更にラテン系の 「E1b1b1」を取り込み成立したのがセルジュクトルコと後継のオスマントルコなのでしょう。調査の対象によって出現頻度が かなり異なることがわかります。現代トルコ人は均質ではなく調査対象の選び方でかなり変わるか、地域差がかなりあるのでしょう またオスマン帝国時代にアフリカ北岸も領土にしたため、アフリカ系Y-DNA「A」や東ユーラシア時代に取り込んだと思われる Y-DNA「C」(タタール系でしょう)も現存しています。 3.バルカン諸国家 アルバニア人だけがラテン系遺伝子を強く残していますが、他は見事にバルカン系遺伝子のY-DNA「 I2」が主要遺伝子となっており、 旧ユーゴースラヴィアの国名にもなったスラヴ系Y-DNA「R1a」が続きます。どうやらアルバニア人だけが極めて特徴的な 遺伝子構成のようです。他の諸国は遺伝子構成は現代では基本的に似通っているのですが、宗教と言語の違いが極めて厳しく、 紛争地帯の最大の要因のようです。 4.バルカン周辺諸国家(旧オスマン帝国の影響があった諸国) バルカン系遺伝子Y-DNA「 I2」とスラヴ系遺伝子Y-DNNA「R1a」が核の民族群のようです。 5.イタリア ここではイタリア北部の遺伝子調査結果は出てきません、キチンと系統的に調査されたデータは意外にないのです。 研究者の注目はやはりイタリアらしいラテンの色彩の強い地中海ど真ん中のイタリア靴のつま先最南端部のカラブリア州や島々のようです。 Y-DNA「E1b1b1」が核のシシリー島とバイキングY-DNA「 I1」が核のサルディニア島の違いがはっきりとわかります。 恐らく島民の気質も大きく違うのでしょう。 特に不思議なのはマルケ方言を話すイタリア中央部のMarchigiano方言民の人々で、非常に希少なY-DNA「T」がほぼ100%なのです。 勿論ジェファーソン元アメリカ大統領(Y-DNA「T」)の出身地なのでしょう。このようにイタリア半島部と島々は遺伝子的に かなり面白い国なのです。 6.フランス・プロバンス地域 フランスの地中海沿岸部のため、もう少しラテン系遺伝子の割合が多いのかと推測をしていましたが、ケルト系Y-DNA「R1b」が 60%近くを占める典型的な北欧系地域でした。恐らくイタリア北部も同じような傾向ではないかと推測できます。 つまりヨーロッパ大陸部は北欧で、バルカン半島やイタリア半島、イベリア半島のような地中海に飛び出した地域と島々のみが南欧 つまり地中海地域なのでしょう。もう少しイタリア研究論文の調査を進めて見ます。 7.スペイン スペインは各地方がスペインからの分離独立を声高に叫ぶような不思議な国家なのです。スペインを統一したのは カスティーリャ王国ですが、現代にいたっても国家への帰属意識は意外に低いのだそうです。 それぞれの州が好き勝手に叫んでいるようなのです。 実は予想に反してラテン度は低くケルト度が高いのです。スペインのY-DNA「R1b」はラテン気質をみても ゲルマン系ではなくケルト系に近いと思われます。バスク人はイギリスのケルト系と並ぶほぼ純系のケルト系遺伝子集団です。 ガリシア州はスペインの中で最もラテン系遺伝子が多い州。 アラゴン州はバルカン系遺伝子が最も高い州。 独立の声が最も大きいカタルーニャ州はバスクの次にケルト度が高い州です。 ポルトガルは独立していますが、遺伝子的にはイベリア半島民の一部です。 8.ベルベル人 アフリカ北岸一帯に分布するベルベル人は見事にラテン系遺伝子Y-DNA「E1b1b1」の民族です。アフリカ北岸はカルタゴや ハンニバル将軍などの歴史があり、恐らく古代ローマ時代は当時の文明の先端に位置していたと思われます。 特にトゥアレグ族はほぼ純粋なY-DNA「E1b1」遺伝子集団です。 9.アラブ人 サラセン帝国など、アラブY-DNA「J1」の拡大でアフリカ北岸はアラブ一色に染まりY-DNA「E1b1b1」はひっそりとわき役に落とされました。 しかし遺伝子調査は極めて明快に今でもY-DNA「E1b1b1」が民衆の遺伝子の核であることを示しています。 つまりアラブの文化を取り入れイスラム教に改宗した集団はイスラム・アラブ人の一員となり改宗せずに 独自の信仰を守った集団はベルベル人として非定住・遊牧の生活を選んだものと思われます。 これは中国で中華文明に取り込まれた異遺伝子集団は漢民族に取り込まれ、そうでない集団は辺境の少数民族化したのと 同じような様相です。ベドウィン人はアフリカ北岸のアラブ人の中でも古いアラビア語を話す集団らしいですが、 ラテン度はほとんどなくアフリカの主要遺伝子の一つであるY-DNA「E1a」を多く含み、 恐らく交易を通してだろうと推測できますが、むかなり特殊な交配を行ってきた民族集団のようです。 以上 表紙に戻る ギリシャはヨーロッパなのか?? 当ガラパゴス史観が若い頃にイスタンブールに駐在していたことは当記事1-13.中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成は どうなのか?で触れましたが、 オスマントルコ帝国は約400年のバルカン半島の一部を支配下に置き、特に現代のギリシャとブルガリアに当たる隣接地域の徹底した混血政策をすすめた結果、 特にギリシャ人とブルガリア人のトルコ人に対する憎悪は計り知れないものがあります。数百年以上に渡る長い間オスマン帝国の、それも首都のイスタンブールに隣接したギリシャ地域は ヨーロッパ人からはすっかり忘れられ、イスラム教徒の一部でしかなかったのです。ところがヨーロッパ文明の夜明けであったギリシャ文明を興したギリシャ人を探していた西欧は オスマン帝国内にギリシャ語を話す集団がいることに気が付いたのです。しかもギリシャ正教を守っていたのです。これはギリシャ人の末裔に違いないと喜んだのです。 下記はオスマン帝国が支配した歴史を持つバルカン半島に現存する国家とトルコ内のクルド人のY-DNA頻度リストです。つまり「南欧」地域です。 これを見るとバルカン民族は大きく次の3種に分類されることがわかります。 1.ローマ帝国の子孫系と思われるラテン系Y-DNA「E1b1b1」が多い民族は、 30%以上がギリシャ人とアルバニア人、 20%がブルガリア人、セルビア人、マケドニア人 2.最も多いバルカン系遺伝子のY-DNA「I2」(ノルマン系はY-DNA「I1」)は、 50%以上がヘルツェゴヴィナ人とボスニア人、 30%以上がクロアチア人、セルビア人、ルーマニア人、マケドニア人とブルガリア人 3.メソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」+アラブ系Y-DNA「J1」は、 30%以上がトルコ人とクルド人、 20%以上がアルーマニア人とアルバニア人です。 その3種のY-DNAに2種の遺伝子が更に絡んでいるのもわかります。 4.スラヴ系遺伝子のY-DNA「R1a」は、 30%弱がクロアチア人、 20%弱がボスニア人 5.ケルト系遺伝子のY-DNA「R1b」は、 20%以上がアルーマニア人、 20%弱がトルコ人、クルド人とアルバニア人 以上の5種のY-DNAが複雑に絡み合っているのがバルカン半島です。確かに民族毎に主要遺伝子がありますが、これにキリスト教、正教会とイスラム教などの宗教と それぞれの言語が更に絡み合い訳がわからなくなっています。 かつてバルカン半島の大部分の国名だったユーゴスラヴィアは南スラヴ人の国と言う意味ですが、スラヴのY-DNA「R1a」は主要な遺伝子ではなく、 チトーがソビエトに操られ机上で作った国家に過ぎなかったことが良くわかります。 解体は必然だったようです。あまりにも混沌としている地域なので深入りせずにY-DNA研究の結果のみを淡々とお届けします。 では、本題の、現代ギリシャはヨーロッパなのか? 当ガラパゴス史観の経験とY-DNA調査の結果から判断すると、ギリシャはイタリア、スペイン、ポルトガルと一緒の南欧つまり地中海国家であって、北欧国家とは完全に別の地域国家なのです。 更にギリシャ人は長いオスマン帝国の徹底同化政策で南欧の中でもトルコ人と非常に似ておりペロポネソス半島とアナトリアはほぼ一体で考えられてきたのです。 地中海国家とは、北アフリカも含めた地中海南岸と北岸のことです。現在の地中海南岸はサラセン帝国と後継アラブ国家とオスマン帝国によって 完全にイスラム圏とY-DNA「J1」アラブの国家群に変貌してしまいましたが、 本来はY-DNA「E1b1b1」のラテン系地域だったのです。現在でもアフリカ北岸のアラブ諸国のラテン度はかなり高く、特に砂漠の民ベルベル人、 特にトゥアレグ族はY-DNA「E1b1b1」が主体の基本ラテン系民族で、 ローマ帝国に対抗した古代チュニジアなどアフリカ北岸を形成した古代民族遺伝子集団の末裔の一つと思われます。 Y-DNA「J1」アラブ遺伝子集団が来なければ、オスマン帝国が来なければ、 アフリカ北岸はY-DNA「E1b1b1」ベルベル人主体の地中海民族集団として西欧列強の植民地になり戦後独立し、結局今と同じような地図上の国境線引きでベルベル人国家が出来ていたでしょう。 一方北欧は本来のヨーロッパ国家群でケルト・ゲルマン系とスラヴ系及びノルマン系の遺伝子が混じり合い民族エネルギーを高めてきた国家群なのですが、 長い間南欧ローマ帝国から見ると辺境の野蛮人集団に過ぎなかったのです。 つまり、北欧諸国は文明の先進地域だった南欧に対し、決定的なコンプレックスを持っているのです。ギリシャ文明もローマ文明もルネッサンスも全てギリシャとイタリアから。 だからオスマン帝国に埋もれていたギリシャ文明の末裔を探し出したのです。 だからギリシャの踏み倒しの脅しにも関わらず更に支援を考えています。ギリシャもその北欧のコンプレックスを良く理解しているので、足元を見て平気で踏み倒しができるのです。 この民族の心の動きが左記の朝日新聞の記事で明瞭に理解できます。 以上 表紙に戻る |