16-5. 30,000年前〜35,000前に遡る沖縄の漁労技術

2016/09/20
  久しぶりのPNASの記事を準備していたら、先に新聞などでニュースになってしまいました。 沖縄県立博物館・美術館が中心になって東京大学や国立科学博物館が協力して書かれた論文です。日本人の英語なのでわかりやすいです。 原著をお読みになりたい方のためにSignificanceとAbstrauctを転記しますので、ご興味のある方は是非原著をお読みください。
PNAS 2016 ; published ahead of print September 16, 2016, doi:10.1073/pnas.1607857113
です。 Y-DNA「C1」はオーストラロイドで海のハンターで縄文人の一翼を担っていたことがますます鮮明になってきました。
関連する重要な記事の、
14-4.42,000年前のホモサピエンスの外洋漁撈と海洋技術
30-12. 石器晩期−縄文草創期の港川人はオーストラロイドのようだ
も併記しましたのでじっくりお読みください。 縄文人の逞しさや先進さなど、縄文人は原始的な集団ではなくその年代の地球上の集団の最先端を走っていたことが良くわかります。
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Advanced maritime adaptation in the western Pacific coastal region extends back to 35,000-30,000 years before present

Masaki Fujitaa,1,Shinji Yamasakia,Chiaki Katagiria,Itsuro Oshirob,Katsuhiro Sanoc,Taiji Kurozumid,Hiroshi Sugawarae, Dai Kunikitaf,Hiroyuki Matsuzakic,Akihiro Kanog,Tomoyo Okumurag,h,Tomomi Soneg,Hikaru Fujitag,Satoshi Kobayashii, Toru Narusej,Megumi Kondok,Shuji Matsu’urak,Gen Suwac, andYousuke Kaiful,1

Significance

Moving into oceanic islands after c.50,000 years ago was a remarkable step forward in the history of worldwide expansion of modern humans. However, the developmental process of Pleistocene maritime technology remains unclear. So far, the only secure sources of information for such discussions were the Indonesian Archipelago and northern New Guinea as steppingstones from the Asian continent to Australia. This article reports a successful maritime adaptation that extended from 35,000 to 13,000 years ago on a small island environment in the southern Japanese Archipelago. The new evidence demonstrates a geographically wider distribution of early maritime technology that extended north to the midlatitude areas along the western Pacific coast.

Abstract

Maritime adaptation was one of the essential factors that enabled modern humans to disperse all over the world. However, geographic distribution of early maritime technology during the Late Pleistocene remains unclear. At this time, the Indonesian Archipelago and eastern New Guinea stand as the sole, well-recognized area for secure Pleistocene evidence of repeated ocean crossings and advanced fishing technology. The incomplete archeological records also make it difficult to know whether modern humans could sustain their life on a resource-poor, small oceanic island for extended periods with Paleolithic technology.

We here report evidence from a limestone cave site on Okinawa Island, Japan, of successive occupation that extends back to 35,000 ? 30,000 y ago. Well-stratified strata at the Sakitari Cave site yielded a rich assemblage of seashell artifacts, including formally shaped tools, beads, and the world’s oldest fishhooks. These are accompanied by seasonally exploited food residue. The persistent occupation on this relatively small, geographically isolated island, as well as the appearance of Paleolithic sites on nearby islands by 30,000 y ago, suggest wider distribution of successful maritime adaptations than previously recognized, spanning the lower to midlatitude areas in the western Pacific coastal region.





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西太平洋海岸領域での高度な海上の順応化は、現在から30,000年前〜35,000前に遡る

趣旨

  50000年前、大平洋の島々へ移動することは、現代の人間の世界的な拡大の歴史での注目に値する前進でした。 しかし、洪積世の海上テクノロジーの発達的なプロセスは不明瞭なままです。これまでに、そのような議論のための唯一の確実な情報は、 アジア大陸からオーストラリアに至る踏み石であるインドネシア群島および北ニューギニアだった。
  本論文は、日本列島の南方の小さい沖縄群島の環境において35,000年前から13,000年前まで拡張し成功した海上順応化を報告する。 新しい証拠は、西太平洋岸に沿った中緯度帯域まで北に広げた初期の海のテクノロジーの地理的により広い拡散を示す。

概要

  海上の順応化は、現代の人が世界中に拡散することを可能にした必須のファクターのうちの1つであった。 しかし、前の更新世の間の早い海上テクノロジーの地理的な拡散は不明瞭なままだ。 この間、インドネシア群島と東部ニューギニアは、度重なる海洋横断と先進の釣り技術の揺るぎない更新世の証拠のための唯一の地域としてよく認められている。 不完全な考古学的な記録もまた、現代人が旧石器時代の技術で長期間の間資源の少ない、小さな大平洋の島での彼らの生活を支えることができたかどうかについて 理解することを難しくしている。
  私達は、35,000年前〜30,000年前にさかのぼる連続した居住があった、ここ沖縄の石灰石洞窟サイトから得た証拠を報告する。 サキタリ洞窟のよく層化された層は、正式に形づくられたツール、ビーズと世界の最も古い釣り針を含む貝人工品の豊かな集積をもたらした。 これらには、季節的に利用された食物残留物が付いている。
  この比較的小さな地理的に孤立した島の持続的な居住ならびに30,000年前の近隣の島の旧石器遺跡の出現は、 これまで考えられていたよりより広い連続的な海の適応を示している。そして、西太平洋沿岸の低緯度地域から中緯度地域の範囲にわたっている。
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  今朝の朝日の記事は下記です。

  縄文人の一翼を担う海のハンターY-SNA「C1a」の弟遺伝子Y-DNA「C4」アボリジニの先祖は、 記事14-4.で42,000年前にはすでにオーストラリア大陸に渡っておりしかも漁労を行っていたことが報告されています。
  当然、日本列島にもそのころすでに到達していたはずですが、沿岸の遺跡の主要部分は120mにもなる海面上昇のおかげで全て海の中に沈んでおり、 現在、我々が発掘しているのは海面上昇に追われて移動した生活跡に過ぎない。これは大変残念なことで海中考古学の発展なしには 縄文文化の発展は証明できません。国の肝いりで海中考古学が日の目を浴びることを期待します。日本列島の考古学が大幅に変わります。

以上
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15-23. 洞窟壁画の発見は4万年前のアジアでも具象芸術が存在していた事を証明する

  「Nature」の2014年10月9日付けで、「インドネシア・スラウェシ島の更新世の洞窟壁画」の存在が報告されました。

  これは欧米の研究者にとっては衝撃的な”事件”だったようです。アルタミラの洞窟とかカスティーヨ洞窟などの洞窟壁画はクロマニヨン人や交配したらしい晩期ネアンデルタール人等が描いた物で、 ヨーロッパ人が美術・芸術に優れている優越性の理由にされて、アジア系が芸術性に劣る理由にもされてきたそうです。

  しかしヨーロッパと同じ30,000年から40,000年前にアジアでも既に洞窟壁画が描かれていた事実は、芸術性は欧米人だけでなくアジア人にも受け継がれてきたことを証明したと言えるものです。 欧米人の困惑ぶりが目に見えるようです。

  こうして、考古学の発達に伴い欧米白人の考えてきた優越性・白人至上主義は少しづつ無くなって来るのです。

  という訳で、NatureのAbstructをご紹介します。

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Pleistocene cave art from Sulawesi, Indonesia
Nature 514, 223-227, 9 October 2014, doi:10.1038/nature13422
M. Aubert , A. Brumm , M. Ramli , T. Sutikna , E. W. Saptomo , B. Hakim , M. J. Morwood , G. D. van den Bergh , L. Kinsley & A. Dosseto

Abstract
  Cave art from the island of Sulawesi in Indonesia, consisting of human hand stencils and animal paintings, is at least 40,000 years old, raising the question of why rock art traditions appeared at more or less the same time at opposite ends of the Late Pleistocene human world.
  Archaeologists have long been puzzled by the appearance in Europe 40?35 thousand years ago of a rich corpus of sophisticated artworks, including parietal art (that is, paintings, drawings and engravings on immobile rock surfaces) and portable art (for example, carved figurines), and the absence or scarcity of equivalent, well-dated evidence elsewhere, especially along early human migration routes in South Asia and the Far East, including Wallacea and Australia, where modern humans (Homo sapiens) were established by 50 kyr ago.
  Here, using uranium-series dating of coralloid speleothems directly associated with 12 human hand stencils and two figurative animal depictions from seven cave sites in the Maros karsts of Sulawesi, we show that rock art traditions on this Indonesian island are at least compatible in age with the oldest European art.


インドネシア・スラウェシ島の更新世の洞窟壁画

  人間の手形および動物画から構成されるインドネシアのスラウェシ島の洞窟芸術は少なくとも40000年前のものです。そして岩芸術という様式が後期更新世の人間界の(西ヨーロッパとインドネシア諸島部と言う)両端で大体同時期になぜ出現したのかという問題を提起します。

  考古学者は35,000-40,000年前頃のヨーロッパに出現した在壁の芸術(つまり静止した岩面の上の絵や図面と彫刻)や携帯出来る芸術(たとえば彫刻された小立像)を含む豊富な洗練された美術品の集積と、
  そして特に現代人類が 50,000年前には既に安住していたWallacea島嶼群やオーストラリアを含む南アジアや極東への人類の初期の移動ルートに沿ったどの場所でも同等の価値を持つ芸術品が欠如或いは不足していたことに長い間困惑してきました。

  ここで、スラウェシ島のMarosカルスト(石灰岩が雨水に溶食された地形)の7つの洞穴遺跡から12の人間の手形および2つの形象的な動物描写に直接伴った洞窟内の珊瑚状の二次生成物のウラン系列の(半減期)日付を使用して、私たちはこのインドネシアの島の岩芸術様式が最も古いヨーロッパの芸術と少なくとも年代的に一致することを示します。


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        いろいろな紹介記事がありましたが、最もわかり易かった「Anthropology.net」(Anthropology=人類学)の記事の訳文を掲載しますのでご参考に。また写真は「NBC News」や「the guardian」からも借用しています。

インドネシアのスラウェシ島の39,000年前の洞窟芸術



  この手形はスラウェシ島のMaros地域の洞穴のうちの1つで1950年代には発見されていました。

  下図は今回報告された壁画の原写真(上)と絵を抽出したもの(下)です。
  この洞窟芸術として世界で最も古い手形(右上)および恐らく最も古いかもしれない形象的描画のメスのバビルサ(豚のような動物、ブタ鹿とも呼ばれます)は、スラウェシ島(ボルネオの東方の島)のLeang Timpuseng洞穴で発見されました。

  今回ネイチャーに公表された論文は、右上の手形上の沈殿物の年代について説明していますが、それは世界で最も古い39000年以上前の描画でした。
  この手形に隣接している左側の動物は35,400年前のバビルサでした。



  この研究の研究者は、画像を覆っていた10mmの鉱物の層を調査しました。
  これらの鉱物には微量の放射性ウランが含まれていました。
  手形を覆っていた鉱物の最低年代は39,000年前で、手形は当然覆った鉱物より以前に描かれているので更に数千年は古いことを示します。

  スペインのエル・カスティージョ洞穴はこの同じ年代決定法によって少なくとも40,800年前とわかり、既知の最も古い洞窟芸術となっています。
  エル・カスティージョは37,300年前の手形もあります。

  スラウェシの洞窟壁画は年代でこれらの発見に匹敵し、最近でも17,000年前ぐらいまでそこで存続していた様式に属しているように見えます。

  芸術は更新世に世界中で出現していました。

  我々は、最も古い既知の絵画および手形はヨーロッパ(それは恐らく芸術がその地域で生まれたというヨーロッパ中心の考え方を生じさせました)にあると以前は思っていました。しかしこの研究はこの概念が誤りであったことを示しました。

  我々は、このインドネシアの島の岩芸術様式は年代的に最も古いヨーロッパの芸術と少なくても同年代であることを示します。

  Marosの最も初期の画像は、少なくても39.900年前の日付を持っており、今のところ世界で最も古い既知の手形です。
  さらに、バビルサ(ブタ鹿)の絵画は少なくとも35.400年前の日付を持つということは、世界で最古ではないにしても最も初期に描かれた形象的な描画の一つです。

  人類は40000年前には更新世のユーラシア世界の両端で岩芸術を生み出していたことを、今こそ実証できたのです。
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  この洞窟壁画の発見は当ガラパゴス史観にも大きな影響を与えます。
  この洞窟壁画が発見されたインドネシアのスラウェシ島(旧名セレベス島)は古代のスンダランドの隣でニューギニアとオーストラリアが一体化していたサフール大陸の手前に位置します。そしてサフール大陸には50,000年前にはホモサピエンスが既に上陸し遺跡を残し、40,000年前の漁労の遺跡も発見されています(Scienceの当記事14-4参照)。

  そして彼らの子孫が我らが縄文海洋性ハンターY-DNA「C1a1」(旧「C1」)の弟遺伝子の、ニューギニア先住民(Y-DNA「C1b2」旧「C2」)やオーストラリアンアボリジニ(Y-DNA「C1c」旧「C4」)ということもわかっています。下図はスンダランドとサフール大陸の地図です。Wikipediaから拝借しました。



  スンダランドとサフール大陸の間にあるのが、今回洞窟壁画が発見されたWallaceaで最下図の赤い部分の島嶼群です。ここは寒冷期でも大陸に繋がらず島々として残っていた部分なのです。つまり当時のY-DNA「C」遺伝子集団は海を渡る手段を既に持っており、40000年前には漁労を行っていたほどの技術力を持った海洋性技能集団だったのです。



  となると、縄文人の中の海洋性集団Y-DNA「C1a1」も当然洞窟壁画の手法を持っていたはずですが、日本列島、特に琉球列島の港川人あたりはその集団の子孫候補なので、沖縄沿岸の古い石灰質の洞窟が存在すれば壁画が見つかる可能性は大なのです。

  ただしインドネシアのスラウェシ島の真南に位置するフローレス島ではネアンデルタール人のアジア型らしいデニソワ人の仲間と思われるフローレス人が発見されており、そのフローレス人の遺構の可能性も残されています。

  いずれにせよ、ネアンデルタール人に起源があると考えられる当時最先端の技術や”芸術”は、ヨーロッパだけでなくアジアでも連綿と受け継がれていたことがわかったことは重要なことです。

  出アフリカを果たした、現代人(アフリカに留まり原始のまま進歩から取り残されたY-DNA「A」と「B」は除く)は、ネアンデルタール人と交配することで彼らの先進文化を一気に獲得し、
  進化後、数十万年経ち人類として終焉を迎えつつあったネアンデルタール人を交雑による自然吸収の形で取り込むことで、ホモサピエンスを確立してきたという欧米の最新人類学の主張は間違いないのかもしれません。

  恐らく我々ホモサピエンスもネアンデルタール人同様、数十万年後には終焉を迎えるのでしょう。その時に更に新しい人類が誕生しているのかは誰もわかりませんが。

以上
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14-4. 42,000年前のホモサピエンスの外洋漁撈と海洋技術

  Scienceに東海大の研究者も共著の論文が出ました。オーストラロイドの先祖のレベルの高さを示し、当ガラパゴス史観の縄文時代観を補完してくれる重要な内容でした。
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Pelagic Fishing at 42,000 Years Before the Present and the Maritime Skills of Modern Humans

Sue O’Connor, Rintaro Ono, Chris Clarkson

Abstract

By 50,000 years ago, it is clear that modern humans were capable of long-distance sea travel as they colonized Australia. However, evidence for advanced maritime skills, and for fishing in particular, is rare before the terminal Pleistocene/early Holocene. Here we report remains of a variety of pelagic and other fish species dating to 42,000 years before the present from Jerimalai shelter in East Timor, as well as the earliest definite evidence for fishhook manufacture in the world. Capturing pelagic fish such as tuna requires high levels of planning and complex maritime technology. The evidence implies that the inhabitants were fishing in the deep sea.

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42,000年前(BP)にさかのぼる現生人類(新人)の外洋漁撈と海洋技術

  50,000年前には新人がオーストラリアに植民するために近代人が長距離船旅ができたことは明らかです。しかしながら、高度な海事技術を立証すること、 特に魚を釣ることを立証する証拠は更新世/初期〜完新世ではまれです。ここに、私たちは東ティモールで釣り針製造を立証する最も早い有限の証拠と同様に 42,000年前の海洋の多様性や他の魚類が残っていることを報告します、まぐろのような沖魚を捕らえることはハイ・レベルの立案および複雑な海事技術を要求します。 得られた証拠は、住民が深海の中の魚を釣っていたことを示唆します。
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  Y-DNA「C2」「C4」のオーストラロイドの先祖が当時すでにいかに高い海事技術力を持っていたかが示された記事です。 となると同じオーストラロイドの日本人のY-DNA「C1」も当然高い航海技術を既に持っていたはずで、沖縄に港川人などオーストラロイドの遺跡が発掘されますが、 これまでY-DNA「D2」とともに沿岸部分を移動してきた「C1」と思っていましたが、高い航海術を持ってスンダランドから舟で渡ってきた「C1」か「C2」や「C4」の可能性も実はあるのです。

     しかし今遺伝子が残っていないということはいずれにせよ「C2」「C4」はやはり列島には来ていないか、来ても子孫を残すことは出来なかったようです。 ということは港川人はやはり「D2」と共にスンダランド→東シナ海・黄海ランドから渡ってきた「C1」と考えるのが妥当でしょう。

  このオーストラロイドが形成される前のY-DNA「C」の持つ稀有壮大な気質は、当然日本列島の「C1a」や「C3a」にもあり、 一部の日本人の持つ海洋性の気質は間違いなくY-DNA「C1a」遺伝子の持つ特徴です。同様に大陸性の気質は間違いなくY-DNA「C3a」で、 鯨や大型獣などの一部の日本人にあるハンター的な特徴・気質は間違いなくY-DNA「C」の持つ気質でしょう。 列島沿岸各地で捕鯨基地を形成してきた集団は「C1a」、山間部で狩人集団を形成してきたのは「C3a」だと思います。

  器用に土器や道具などを作る技術力はY-DNA「C」の持っていた技能のようです。 アンダマン諸島のY-DNA「D*」100%のOnge族やJarawa族を見てもY-DNA「D2」集団はこれと言って特徴のない平均的な日本人の姿そのもののようです。

以上
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14-1. オーストラリア先住民は人類最初の冒険家か?

  Scienceの9月号にオーストらリアのアボリジニ(先住民)に関する研究が発表されました。「BioQuick」ニュースの日本語訳も転載します。

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Aboriginal Genome Shows Two-Wave Settlement of Asia Ann Gibbons Abstract  Almost a century ago, British anthropologist Alfred Cort Haddon traveled the world seeking samples of human hair, among other curios, for his ethnographic studies of native people. The samples, which lay in a museum drawer for 90 years, included hair from a young Australian Aboriginal man. Now in a paper published online this week in Science, geneticists report that they have extracted enough DNA from that hair to sequence the first complete genome of an Aboriginal. The genome offers the first good look at the origins of Aboriginals, showing that they are one of the oldest continuous populations outside of Africa, the authors say.
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人類最初の冒険家はアボリジニの先祖/遺伝子解析から判明

     オーストラリアの先住民アボリジニの遺伝子を解析する国際研究チームが驚くべき結果を発表した。 2011年9月22日号のScience誌に掲載された記事によれば、人類の先史時代の理解を変えるものとなっている。 遺伝子の解析に基づき、研究チームはアボリジニの祖先は人類がアジアに広がって行った初期の頃である70,000年前に遡る事ができ、 少なくとも24,000年前には現在のヨーロッパやアジア全域に分布した事を立証した。

  この事実が示すところは、現在のアボリジニは50,000年も以前に最初にオーストラリア大陸に移り住んだ人類の直系の子孫であるという事だ。 本研究プロジェクトは、20世紀初頭に、西オーストラリア州ゴールドフィールド地域に住むアボリジニの男性から英国の人類学者に寄贈された髪の毛の束に端を発する。 それから100年経た今、研究チームはその髪の毛の束からDNAを抽出単離し、最初のオーストラリア人の遺伝子解析と太古の人類がどのように地球上の各地に移り住んだのかの研究に活用する事となった。 このDNAからは、近代のヨーロッパ系オーストラリア人特有の遺伝情報が含まれていない事から、このアボリジニ男性の祖先が、現在の他の人種の64,000−75,000年前の祖先から分化した事が明らかとなった。 よって、アボリジニは現在の探検家の「はしり」とも言え、その昔アジアに移住し50,000年にオーストラリアに辿りついた人種を、直接の祖先とする。 つまりアボリジニは彼らが今日居住する地帯に最も長い歴史を有している事となる。

  この研究により明らかな事は、ゴールドフィールズとシーカウンシルの2地域はアボリジニが歴史的にオーナーであった事が証明されたことである。 アボリジニの歴史は、アフリカから発祥した最初の人類がどのように広がって行ったかを理解する為の重要なカギとなる。 考古学的検証によればオーストラリアに現生人類が現れたのは50,000年前であるが、本研究によればそれに至った歴史は異なったものと考えられる。  これまで最も広く認められている見解では現生人類の祖先はアフリカにのみ発祥が遡り、そこからヨーロッパ、アジア、オーストラリアへと移住していったと考えられていた。 そのモデルによれば、最初のオーストラリア人(アボリジニ)はヨーロッパの祖先から分化したアジア人種から更に分化した事になる。

  しかしながら本研究によれば、アボリジニの祖先が冒険の旅を開始した頃はまだアジア人とヨーロッパ人の祖先は、まだ分化していなかった。 アボリジニの祖先が冒険の旅を開始して24,000年程経てから、アジア人種やその他少数人種と混合するようになった。 研究チームを率いるコペンハーゲン大学のEske Willerslev教授は「アボリジニの祖先は人類最初の冒険家なのです。 ヨーロッパ人やアジア人の祖先がまだ冒険の旅に出ずアフリカや中東のどこかで留まっていた頃、アボリジニの祖先は既に遠くまで広がっていたのです。 未知の地域であったアジアを横断し、海を渡ってオーストラリアに上陸したのが、最初の現生人類なのです。 本当に驚くべき冒険で、類稀なるサバイバル知識と勇敢さを持ち合わせていたのでしょう。」と説明する。 本研究は現生人類の祖先がどのように世界の各地へ移動していったかを理解するのに大変役に立つであろう。 古代の骨や歯に典型的に生じる、現生人類の遺伝子コンタミのようなリスクを犯さず、遺伝子解析を行なうには保存された髪の毛サンプルの条件はそれ程よくはなかったが、 なんとか古代の人類の遺伝子のみが得られたと研究チームは述懐する。

  博物館の収集品の解析と他グループとの共同研究によって、世界各地の多くの先住民が有する系統の歴史が、例え彼らが近年居住地を変えたり民族的に融合が進んだりしても、 追跡調査が出来るようになったのである。「この研究は遺伝人類学者や分子生物学者に大変興味深いものです。 そして人類がどのように世界の各地に移動して行ったのかを研究する事が出来るのです。 遺伝子配列解析技術とバイオインフォマティクスがこれから更に発展し、種の起源の謎、人類の進化と移動や系統を解明する為のヒトゲノム研究を加速する突破口となるでしょう。」 と本研究のもう一人のリーダーでありBGI(北京遺伝子研究所)研究所長であるユン・ワン教授は語る。
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  オーストラリアのアボリジニはY-DNA「C4」であり、出アフリカしたY-DNA「DE」と「CF」の「CF」から分化したハプロタイプで、日本独自の「C1」亜型の方が更に古い歴史を持ちます。 オーストラリアに50000年前には人類が到達していたことは前からわかっていたことで、とりたて目新しい報告ではありませんが、 50000年前にY-DNA「C4」がオーストラリアに既に到達していたことが再確認できたということは、 スンダランドから陸続きではなかったオーストラリア−ニュージーランドの大陸サフールランドに当時小舟で渡ることができる技術が充分にあった、と言うことが改めて確認できたことになります。

  このことは当然もっと古い日本独自亜型のY-DNA「C1」は当然同じころに旧石器時代の日本列島に到達していたと考えても不自然ではないのです。 ということはY-DNA「C」と行動を共にしていたと考えられているY-DNA「D」も当然日本列島に旧石器時代人として渡ってきていたと考えられます。 つまりY-DNA「D2」は縄文人の主遺伝子というだけではなく、旧石器時代人の主遺伝子の可能性も充分あるのです。 つまり日本列島にはオーストラリアと同じく旧石器時代から同じ遺伝子集団が50000万年近く住み続けている可能性があるのです。

  日本人はチベット人やアンダマン諸島先住民と同じ古代遺伝子Y-DNA「D」を持ち、いわゆる新モンゴロイドと呼ばれる他のアジア人と全く異なる遺伝子履歴があります。 それほど古い石器・縄文の古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D2」、「C1a」、「C3a」の基層の上に、 弥生集団や武装侵攻集団の新興アジア遺伝子のY-DNA「O1a」、「O2a」、「O2b」、「O3a」遺伝子が複層的に交配した、 世界でも特殊な民族集団なのです。日本人の行動様式は出アフリカした現代人類の祖先/古代シーラカンス遺伝子が持っていた行動様式を今でも文化の基層に持っている、 世界の最先端の先進国では非常に特殊な民族集団です。特に田舎の精神・風土は古代遺伝子文化そのものです。

  今後の旧石器時代の発掘に期待しましょう。

以上
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15-26. ホモサピエンスは8万年前に中国南部に到達していた!、
...................................................と言う衝撃の最新発掘報告だが?


 2015年10月29日のNature Letterに欧米で話題になっている驚くべき報告が発表されました。
タイトルは
「The earliest unequivocally modern humans in southern China」
「中国南部で最も初期の疑うべきのない現代人類」
です。

 6-7万年前頃に2000人程度で出アフリカしたらしい現在のY-DNA「A」,「B」を除くY-DNA「CT」とmtDNA「L3」は、中東地域でネアンデルタール人と交配しつつ、
 ネアンデルタール人が出アフリカ後数十万年かけて構築したネアンデルタール人の持つ最先端の技術や文化を一気に獲得し、最初から進化の高い段階からスタートできたと言う幸運を手に入れ、
 出アフリカせず、ネアンデルタール人との交配を経験しなかったY-DNA「A」,「B」やmtDNA「L3」以外の全ての「L*」集団が現在でも基本狩猟採集民のレベルから完全に抜け切れていないのに対し、
 はるかに短い時間で現在の文化レベルにまで進化をできた訳です。

 5万年前頃には、アボリジニの先祖Y-DNA「C1b2b」は既にオーストラリア大陸に到達していたことが遺跡からわかっていますが、如何に健脚な狩猟採集民の祖先とは言えホモサピエンスの移動はそんなに速かったのか?  という素朴な疑問は着いて回りました。

 今回発掘されたのは「歯」のみで、DNAは抽出されていません。従ってどんなY-DNA亜型もしくはmtDNA亜型を持つ集団なのかはわからず、現代の人類の直系先祖の系列なのか 、滅びた別のホモサピエンスの系列なのかはわかりません。
 わかったのは、
 ・明らかにホモサピエンスの「歯」であること。
 ・地層から80000~120000年前頃の遺物であること。
 です。

 実はレバント地域では10万年前頃のホモサピエンスらしい遺跡が発掘され、そこで滅んだ別のホモサピエンスの系統と言う解釈が欧米の研究者の間でされています。
 つまり我々現代人はあくまで2000人程度で出アフリカした極く限られた集団の子孫であり、各地域にいたホモエレクトスから一斉にホモサピエンスに平行進化したのではないと、言うことになっています。
 この解釈だと今回発掘された「歯」を持つホモサピエンスは、滅んだ別の系列と言うことになります。
 アジアには北京原人やジャワ原人から独自進化した、滅んだ別のホモサピエンスがいても不思議ではありませんが、Y-DNAやmtDNAが抽出できないと系統が判断できません。
 もしかするとデニソワ人が変化した可能性だってあります。
 8万年も前にアジアにホモサピエンスがいたなら、5万年前にアボリジニの先祖がオーストラリア大陸に到達してもおかしくはありません。
 
Nature Newsの 紹介記事の絵と図を転載させてもらいますので、興味のある方は是非読んでみてください。
 また発掘現場のPDFのスライドショーもありますので最下段の森の写真をクリックして見て下さい。

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以上
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