3-4. スラブ度(インドアーリアン度)調査 Y-DNA「R1a」 rev.3

  ノルマン系やケルト系と異なり交配しているアジア系遺伝子など他遺伝子の種類が多いのです。Y-DNA「R1」の発祥の地は中央アジア/コーカサス一帯と言われていますが、 集団は3手に別れ、1隊はアフリカに到達し先住の「A」,「B」,「E1a」と交配し、もう1隊は「Q」か「C3b」と共にベーリング海峡を渡り北米に現存しています。 残留部隊はその後「R1a」と「R1b」に分化し、2隊に別れ1隊は西進し「R1a」は東欧圏に留まりスラブ系民族になりましたが「R1b」は更に西進し西欧圏に到達しケルト系民族になりました。 最後の1隊はインド亜大陸に南下し先住のインダス文明の子孫のY-DNA「L」ドラヴィダ人を追い出しインド南部に押し込めながら交配しインド・アーリアン民族となりました。 ロシア人の主要民族のスラブ系とインド・アーリアンは完全に同根なのです。インド人が意外に小柄なようにプーチン等ロシア人もケルト系もラテン系も小柄です。 欧州人の大柄はネアンデルタール人と密に交配したクロマニヨン人の遺伝子を持つノルマン系の形質なのです。

  スラブ系集団はヨーロッパの僻地に展開したケルト系と異なり大陸の中にいたため他の集団との交配が盛んだったのか、大陸の中央部にいるためそれだけ侵略・征服されてきたのか、 アジア系の遺伝子も多く検出されています。大唐帝国(Y-DNA「O」)、モンゴル帝国(Y-DNA「C」)、チムール帝国(テュルク系)など中央アジアに進出した大帝国は意外に多いので 様々な遺伝子が混じっていてもおかしくはありません。

  キルギス人やタジク人などテュルク系集団が「R1a」がこれほど高頻度とは意外でした。言語と遺伝子はイコールではないことの代表例のような気がします。 つまり「テュルク系」という民族遺伝子は全く存在せず、テュルク語を話す集団がテュルクに集約されたのでしょう。それだけ過去の中央アジア〜中東におけるテュルク系集団の帝国、 チムール帝国、セルジュク・トルコやオスマン・トルコの存在が大きかったからでしょう。もともとモンゴル系Y-DNA「C3c」であったと思われるテュルクの現在の主要遺伝子は、 トルコ共和国もテュルクメン等の中央アジア国家も、セム民族系遺伝子Y-DNA「J」に変貌しています。宗教もイスラム教でほぼまとまっています。

  人は元の遺伝子はばらばらでも同じ宗教、言語で新たな集団を作るのです。そして遺伝子が複雑なほど民族エネルビーは高まり、交配を嫌うほど民族エネルギーは下がり 先住民族・辺境民族化し滅んでゆくのです。これは遺伝子の持つ宿命なのです。






































































































以上

表紙に戻る

3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査 rev.4

  下図は現在のY-DNA「R1a」の出現頻度分布です。ロシアとポーランドに最大頻度を持っていることが良くわかります。ところが旧ユーゴスラヴィア(南のスラブの国)と言われ スラブ系の土地と思われたバルカン半島のスラブ度はそれほど高くなく、オーストリアやドイツの方がスラブ度が高いのです。北の雪深い土地の遺伝子という分布です。


















  Y-DNA「R1a」は、恐らく最後の氷河期最盛期、19000?26000年前頃にR1*から分化しました。
  分化したその起源地について確かなことはほとんどわかっていません。
  Y-DNA「R1a」の大きな遺伝的多様性を持つバルカン諸国、あるいはパキスタンおよび北西インドで分化は始まったかもしれないと思う人もいますが、多様性は他の要因を通しても 説明することができます。
  バルカン諸国は、ユーラシアの大草原から更に分化した後のY-DNA「R1a」の小亜型の状態で、5000年掛けて移動してきたとも考えられます。
  南アジアには少なくとも10000年の間、世界の他のどの地域より(時々中国に匹敵するくらいの)多くの人口があり、そして人口の多さはより多くの遺伝的多様性を引き起こします。
  Y-DNA「R1a」の最も有望な起源地は中央アジアあるいはロシア/シベリアの南部です。

  Y-DNA「R1a」は、インド・イラン語族、トラキア人、バルト人およびスラブ人へと分化した、北部と東部の原インド・ヨーロッパ語族で支配的な亜型だったと思われます。
  原インド・ヨーロッパ人はYamna文化(紀元前3300年〜2500年前頃、ドナウ川とウラル山脈の間の広大な地域にわたって存在した銅器時代の文化圏で中心地はウクライナだったらしい) に起源を持ちます。












  その劇的な拡大は、早い青銅武器の採用およびユーラシアの大草原(紀元前4000年〜3500年前頃)の馬の家畜化のおかげで、可能となりました。
  南の大草原(ステップ)文化はY-DNA「R1b」(変異M269とM73)亜型を主に運んだと考えられるのに対し、北の森林・大草原文化が本質的にR1a優勢だったようです。 (「R1a」が基本的に雪深い森林系だったの対し「R1b」は草原に進出した集団だったようだ)

  森林・大草原集団の最初の拡大が戦斧文化(Corded Ware Culture/縄目文土器文化または単葬墓文化とも言う)によって引き起こされました。















  Y-DNA「R1b」集団の中央ヨーロッパおよび西ヨーロッパへの移住は、地下墓所文化(紀元前2800年〜2200年頃)の時代に南部大草原に居たY-DNA「R1a」集団に空白の地域を作り出しました。
  この文化の森林・大草原起源は、戦斧文化の2つの最も顕著な特徴である縄目文陶磁器の導入および磨き上げた戦斧から明白です。

  バルト・スラブ語族およびインド・イラン語族の言語グループが下図に示されるようにインド・ヨーロッパ語族の中のサタム語派に属し、両方とも地下墓所文化から発展したように見えることから、 インド・ヨーロッパ語族のサタム語派化プロセスが始まった時なのでしょう。














  古代のDNAの鑑定は、ドイツの戦斧文化(Corded Ware Culture/紀元前2600年頃)、北西中国のトカラのミイラ(紀元前2000年頃)、南ロシアおよび南シベリアのAndronovo文化の クルガン埋葬遺跡(およそ紀元前1600年頃)などと同様にロシア、シベリア、モンゴルおよび中央アジアの様々な鉄器時代遺跡からの標本からもY-DNA「R1a1」小亜型の存在を確認しました。
  

























以上

表紙に戻る

くりっく365とは   プロフィール  PR:無料HP  横手自動車学校  IT 専門学校  SSTツール  タイヤ 寿命  タイヤ プリウス 新品  ボーカロイド 専門学校  クルマパーツ  ふくやま自動車学校  パワーストーン  山梨 合宿免許  マーク2 中古  リノベーションセミナー