^ 30-12. 縄文草創期の港川人はオーストラロイド
30-12. 石器晩期−縄文草創期の港川人はオーストラロイドのようだ。

  今まで縄文人顔とされてきたのは典型的なY-DNA「D2」のジャガイモ顔です。ところが16000〜18000年前頃(旧石器時代最晩期から縄文時代草創期)のとされる港川人の顔は 最近の再調査で下記の記事のように完全にオーストラロイド顔と判明したそうです。 これはY-DNA「C1」はY-DNA「C2」100%の西ニューギニアのLani族(オーストラロイド)に似ていたはずだという当ガラパゴス史観の意見と完全に一致します。 そして沿岸狩猟採集系遺伝子集団で、貝文土器など土器の製作集団だったのです。

  それでは2010年6月28日asahi.comの港川人の記事をご紹介します。
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  港川人、縄文人と似ず 顔立ち復元、独自の集団か

  新しい研究をもとに、国立科学博物館が作り直した港川人の復元図(右図)















  左図は国立科学博物館に展示されている港川人の復元像。縄文人の祖先と考えられたので、日本人の雰囲気だ。沖縄で見つかった旧石器時代の人骨「港川人」の再調査を進めている国立科学博物館(科博)が、顔立ちの復元図=写真上、科博提供=を作り直した。縄文人の祖先とされてきた従来のイメージ=写真下=から大きく変わり、オーストラリアの先住民といった雰囲気だ。

  上左図の縄文人は眠そうな目ですが、本来の「D」は左図のアンダマン諸島のY-DNA「D*」100%のOnge族やJarawa族のようなジャガイモ顔ですがパッチリした目の鋭い二重だったはずです。 そして本来の「C1」は右図の西ニューギニアのY-DNA「C2」100%のLani族のような奥目のいかつい彫深顔だったはずです。どちらも今の日本人に時おり見かける顔です。 しかも当然のことながら古代遺伝子集団や先住民に特有の見事な鯨面です。これが大人のY-DNA「D2」縄文人と「C1」縄文人のオリジナルの顔の現代版なのです。 国立博物館の復元像は鯨面にした方が良かったですね。古代人の特徴をあらわすからです。

  港川人は1967〜76年に沖縄本島南端の石切り場で見つかった。5〜9体分の人骨と考えられ、出土地層は約2万年前と推定されている。 全身の骨格と顔面が残っている旧石器時代の人骨は、日本ではその後も発見はない。 顔の彫りが深く、手足が長いといった港川人の特徴が、縄文人によく似ていることから、 縄文人の祖先は南から渡ってきたとの考えの大きな根拠となってきた。その縄文人に大陸から渡ってきた弥生人が融合して日本人が形成されたと考えられてきた。 科博はそうした日本人形成論の再検討に取り組んでおり、その一環として港川人を再調査してきた。

  CTなど最新の技術で調べると、発見当初の復元にゆがみが見つかった。下あごが本来はほっそりとしており、そのゆがみを取り除くと、横に広い縄文人の顔立ちと相当に違っている。 現在の人類ならば、オーストラリア先住民やニューギニアの集団に近い。

  縄文時代の人骨は、列島の北から南まで顔立ちや骨格が似ていることから、縄文人は均質な存在と考えられてきた。 だが、縄文人の遺伝子を分析した結果、シベリアなど北回りの集団、朝鮮半島経由の集団など多様なルーツのあることが見えてきた。

  これを正確に言うと、縄文男性は前述のように「D2」「C1a」と「C3a」の3亜型があり、全国に分布するのが圧倒的多数の「D2」、 日本列島部分を北上した「D2」と一緒に北上したため青森など北に多く分布するのが「C1a」、ナウマン象など大型獣を追ってシベリアから朝鮮島経由で南下してきたため九州や西日本に多いのが「C3a」。 一方女性は民族性を持たないことや、Y-DNA「D」「C」が出アフリカ後移動途中のインド亜大陸や、スンダランドや東シナ海−黄海ランドなどで巡り合ったmtDNA遺伝子の女性が集団に その都度新たに加わるためmtDNAの調査でも男性より種類がやや多い遺伝子構成になっています。

  新たな復元図は、そうした研究を総合したものだ。科博の海部陽介研究主幹は「港川人は本土の縄文人とは異なる集団だったようだ。 港川人は5万〜1万年前の東南アジアやオーストラリアに広く分布していた集団から由来した可能性が高い」と語った。 その後に、農耕文化を持った人たちが東南アジアに広がり、港川人のような集団はオーストラリアなどに限定されたと考えることができそうだ。(渡辺延志)

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  その後、石垣島の白保竿根田原洞穴からこれまでの20000年前より更に古い国内最古の24000年前頃の人骨が発掘された、というニュースがありました。
  旧石器時代の人骨として最も有名な港川人も沖縄県島尻郡八重瀬町(旧具志頭村)で見つかっており、全て琉球列島の遺跡という驚くべきことですが、骨が残りやすい土壌のようです。
  縄文人(正しくは石器−縄文人)にはY-DNA遺伝子の3亜型があり、
・Y-DNA「D2」;現代日本人のY-DNAの実に41%を占め、小柄でジャガイモ顔で二重瞼の日本人の基盤です。
・Y-DNA「C1a」: 4%、小柄なオーストラロイド系海洋性ハンター、
・Y-DNA「C3a」; 3% ナウマン象を追ってきた大陸性ハンター

  縄文系は合計日本人男性の実に48%も占める田舎的な親切な日本人気質の源になった遺伝子です。そして3亜型とも出アフリカ当時に近い古代性を残したシーラカンス遺伝子です。 田舎独特のホスピタリティはこの石器−縄文人から受け継ぐ古代気質です。これらの遺伝子集団の草創期の遺跡は海面上昇後の大陸棚に大部分が沈んでおり草創期の文化の構築は難しいものがあります。 もし沿岸大陸棚の研究が進めば縄文時代の草創期は14000年前ごろとされる今よりもっと遡る可能性が極めて大なのです。

  50000年前ごろにはオーストラロイド(Y-DNA「C2」、「C4」)は既にスンダランドと海で分離していたサフール大陸(オーストラリア/ニューギニア大陸)に上陸していたことが明らかになっています。 渡海技術が50000年前ごろには既にあったのです。ということは、当然陸続きだった日本列島部分に同じ頃に「C2」や「C」より古い古いY-DNA「C1」が住みついていたとしても至極当然のことでしょう。 ということは、「C」と行動を共にしていたとされる「D」も一緒に住み着いたはずです。といっても、住みついたのは今は海面下に沈んだ120m下の大陸棚部分のはずですが。 つまり、50000年前頃には遅くても20000年前頃には日本列島部分にY-DNA「D」「C」は定住していた可能性は極めて大です。
  石垣島の白保竿根田原洞穴の20000年前~24000年前頃の旧石器時代人は「C1a」か「D2」のどちらでしょう。



以上

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  さてY-DNA「D」と一緒に行動をしたらしいY-DNA「C」はどんな集団だったのでしょうか? Y-DNA「C1」は既に日本人の中に混じり、オリジナルの姿を想像するのは不可能ですが、極く近い兄弟遺伝子Y-DNA「C2」100%のLani族の集団が西ニューギニアに存在しています。 この集団からより古い「C1」のオリジナルの姿は容易に再現できます。

  左図はガイドのJahoda Pe-trさんの観光用の写真です、この集団は褐色の肌色です。日本人でもいくらでもいる色黒タイプです。また陽に焼け易い人は夏の定番のやや濃い目の小麦色です。
  右図はLani Singersが2010年9月にポーランドのフェスティバルに参加した時の写真です。











  Y-DNA「CF」と「DE」は出アフリカ後近東で既に高緯度地適応し白人のような肌の色をしたネアンデルタール人と遭遇し「BT」から分化しましたが、 「DE」から更に「D」と「E」に分化後、「D*」100%のJawara族やOnge族は現代までオリジナルのジャガイモ顔と黒い肌色を保っていますが、 「CF」から分化した「C2」100%のLani族は全く異なる肌色・風貌になっています。

  したがって日本列島に上陸したY-DNA「C1」も当然この部族のような感じだったはずです。実は当方が新入社員時代の新人研修先の製造部の課長は一番右の歌手と瓜二つでした、 ただし肌の色は普通の日本人の肌の色になっていましたが、見事な縮れ毛でした。先ずまちがいなく「C1」遺伝子だったと思います。 このような「いかつい」ソース顔立ちは欧米に多く見られ、日本でもわりと良く見かけるので日本人の遺伝子として定着していることがうかがえます。 ホモ・サピエンスとホモ・ネアンデルターレンシスが交配した当時の顔立ちなのでしょう。

  この写真ではLani族はがっちりした大柄のように感じますが、白人と並んだ写真を見ると実は小柄(ネグリート)であることが解ります。 初期の現代人はアウストラロピテクス以来140cm〜150cmと小柄だったのです。 しかし「魏志倭人伝」のころの中国大陸の為政者は背が伸び、「D2」や「C1」は「倭」と呼ばれるほど小柄な存在になっていたようです。「倭」は山海経で至るところに出てきます。 「倭」は決して蔑称などではなく、本当小柄だったために呼ばれた名称で、当時は中国大陸のあちこちに小柄な集団が居住していたようです。

  「C2」は現在のニューギニアに定着し、「C4」はオーストラリアのアボリオジニーになりました。Y-DNA「C」は基本的にオーストラロイドの祖先です。 オーストラロイドの祖先は近海でマグロなどの深海性の魚類まで釣っていたほど海事技術力が高かったことが昨年末のサイエンスに報告されました。 写真はY-DNA「C2」100%のLani族です。ペインティングで鯨面をしています。右側の男性はLani Singersの歌手です。肌色を薄めると日本でも沿岸部の漁労民系に良く見かける風貌です。 顔写真だけだと大柄そうな感じがしますが、彼らも見事にネグリートなのです。

  Y-DNA「F」の分化の地のインド人は意外に小柄なように古代シーラカンス遺伝子はアウストラロピテクスから継続しているネグリート体質を見事に維持しています(若干背は伸びていますが)。 食糧事情が良くなるにつれてネアンデルタール人から受け継いだ大柄な形質が発現するようになり、穀物食だった日本人は戦後肉をかなり食べるようになったことで、 肉食で大柄になったネアンデルタール人の形質が発現されるようになりました。それでも強固な縄文形質はまだ維持されており、縄文度の高い小柄な日本人の割合はかなりまだ高いのです。

  「C1」はなんと日本列島のみに存在し、特に徳島、青森、沖縄などに多めに残っています。 「C1」は恐らく琉球列島で発見されるオーストラロイド似の人骨の遺伝子と思われ、上の「C2」の写真のように 日本列島に時々みかけるオーストラロイド風形質(彫が深くややいかつい風貌のソース顔)の遺伝子と考えてまちがいないでしょう。 これは前述のネアンデルタール人から受け継いだ形質そのものです。「D2」とともに日本列島に上陸したものと考えられます。 貝文土器の製作技術集団で海の民でもあったようです。日本各地に残る捕鯨基地など海洋性の伝統はこのY-DNA「C1」の子孫が伝えた文化ではないかと思われます。



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